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9月30日 スラバヤ日本人集会で

1995年。当時マラン市(スラバヤ市から高速道路も入れて2時間位かかる山の中の町)のキリスト教大学で教えていた私は、スラバヤの企業の社長をしていた織作兄と主に同時に導かれて、スラバヤ日本人集会を始めた。

それから、織作家で行われていた集会が夫妻の帰国により、西野家に移り、西野夫妻もやがて帰国。日本の大学院で学ばれたスダルト先生ご夫妻が与えられずっとその家で集会が持たれて来た。千金先生、後藤先生が私の後を受け継いで下さって、日本人集会が月一回持たれて来た。後藤先生が8月一杯で本帰国になり、9月から一ヶ月パプアに行く私たちが9月10月と奉仕することになった。11月は、松本先生が説教してくださる。

9月は、8名の方々が集まって来られた。毎月説教をする方が与えられるようにお祈りください。ある方々は、「日本語で礼拝をし、聖書のことばを聴くことができるのは本当に感謝です」と感想を述べておられる。私がイラルトゥ語の翻訳の働きをするのと何が違うのか。母語でのみことばこそが私たちの人生の力だ。そう思わされる。
スラバヤ9月30日

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スラバヤの恵み

スラバヤの日本人集会も帰国の日の朝私にとって2回目となりました。日本人の方々だけでなく、日本語を学ぶインドネシア人の方々、日本で学んだことのある方々、働いたことのある方々も参加されました。スダルト先生ご夫妻の暖かいおもてなしを受け、礼拝後は、和気あいあいとした雰囲気の中で笑いの耐えない楽しい時となりました。

昨日ウイクリフの委員会に出席しましたが、委員の一人であられる内村先生は、9月にスラバヤに行かれたばかりとか。スラバヤにある7万人の大きな教会に行かれ、そこでも日本人の方々が居られたと話してくださいました。

今スラバヤ集会に必要なのは、スラバヤに住む方々のネットワークだと感じました。日本に居るかつてスラバヤの集会のメンバーだった方々も含めてネットワークができればと思っています。祈ってください。人をご紹介ください。お願いします。
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なぜ、ピリポ(フィリップ)なの?

なぜフィリップ(ピリポ)なの

このブログをご欄になった人は、きっとオヤン牧師と同じように疑問を覚えたでしょう。なぜ、松村は、急にフィリップになったのか。家内は、格好悪いから、変な外人っぽい名前をつけるのは辞めてと言います。

でも、すべては、児玉教会で使徒の働きをずっと説教してきたことに始まるのです。ピリポは、8章でサマリヤの地で豊かに用いられた人です。彼は、6章で選ばれた長老の一人です。ヘブル語を話すユダヤ人ではなく、彼は、サマリヤの地に逃げていくのを何とも思わなかった。

この記事を読んでいるうちに、ピリポが何の先入観もなくサマリヤの地で伝道したことが、自分の姿にダブってきました。私にとっては、パプアに帰ることに何の先入観もなくできます。真っ黒い人。文化が違う。ことばが違う。でも、私は、そこで奉仕することが自然に感じられるのです。

「南へ行きなさい」ガザの地へ飛んだピリポの性格も私は惹かれました。エチオピアの宦官に、彼は自分の能力を前面に出して伝道したのではない。常に、宦官の質問を待っている姿。洗礼も自分から言い出すまで待ったピリポ。私もこのピリポのように聖霊なる神様の導きに従っていくものになりたい。だから、あえて自分を律するために、フィリップとしたのです。

パプアでは、相変わらず、「パ・タカシ」と呼ばれました。
この名前はあまり浸透していかないかな。それでも良いのです。自分の性格とピリポが一致して、このような人になって用いられたいという希望を持って歩んで行きたいのです。

10月25日 ウィルスが退治されました。

マノクワリに戻ってきました。前回泊まったホテルが改修中でしたのでインターネットが使えないホテルに泊まることになりました。おかげで、とてもフレンドリーなインターネット・カフェのオーナーにめぐり合え、何とカイマナでかかったウィルスを私のコンピュータから退治してくれました。ここまで苦労して何とか使ってきたゆっくり動くコンピュータ、ファイルをコピーするためにもう一つのコンピュータでウィルスを退治しなければいけなかったコンピュータが息を吹き返しました。

おかげさまで、小気味よく動くようになりました。そして、このブログにもアクセスして新しい記事も書くことができました。感謝です。

明日は、スラバヤに戻ります。28日には、スラバヤ礼拝。午後はシンガポール/日本に向けて出発します。10月29日の朝には日本に着きます。そして、30日は、日本ウイクリフ委員会です。では、また日本でお会いしましょう。

10月17日 散らばった使徒の働きの回収

10月8日-17日 散らばった使徒の働きの最終版を集める

2007年1月にインドネシア聖書協会による最終審査が終わりましたが、それから、ほぼ、9ヶ月間コンサルタントによって指摘された改訂箇所がずっと改訂されないままになっていました。

原因はいくつかありますが、翻訳の中心的な働きをしているヨハン兄は、50代。彼は、機械に弱く、マリウス兄がコンピュータで改訂をする予定でしたが、彼は、政府の役人としてエイズ撲滅のための働きについており、忙しく、最初の数章だけがタイプされていました。しかも、彼は、私が送ったコンピュータ・ファイルをなくしてしまったので、全部タイプ
しなおそうとしていました。

ヨハン兄から、受け取った改訂箇所が書いてある使徒の働きは、3章から20章まで、しかも、ページが1ページ抜けていました。とにかく、私と家内は、時間を見つけては、改訂をしていきました。その間マリウス兄のコンピュータにタイプしてあるファイルを見つけましたが、何と彼のコンピュータは、ウィルスに感染されていて最終的に私のコンピュータも感染されてしまいました。でも、イラルトゥの働きのために持っていったコンピュータのウィルス退治ソフトが働いていたので、USBフラッシュディスクに、大事なファイルを移してからまずウィルス退治をして、それからファイルを移動。そのファイルを調べてみると、何と1ページ抜けていたところまで改訂がなされていました。

そうこうしているうちに、ヨハン兄が、最後の21章から28章まで見つけましたので、本当に危ない橋を渡りましたが、使徒の働きの最後の改訂箇所が書かれているすべてのテキストを集めることができました。主の哀れみを感謝しています。家内は、10月18日(木)最後の改訂を終えました。10月19日(金)20日(土)に、ヨハン兄と一緒に改訂箇所を読み直しました。これでまた一つの目標が達成できそうです。お祈りを感謝します。(後にもう一ページなくなっているのが分かりました。これは残念ながら見つかりません。コンサルタントに聞いてみる必要があります)


使徒

10月15日ー17日 チーム作り

10月15-17日 ペンキ塗り

ヨハン兄は、50代、マリウス兄は、20代、明らかに世代が違う。あまりコミュニケーションが取れていない様子。そこで、ペンキが禿げていて、事務所らしく整っていないのを一緒に綺麗にすることにした。今は、イスラムのイドゥル・フィットゥリ。断食明けの一週間の休み。マリウス兄は、今週は仕事がないので時間があると言ってくれた。そこで15日から3日間。ペンキ塗り、雨どいの設置などに取り掛かった。

おかげで私も日にあたり真っ黒になってしまった。おかげさまで、一緒に働くというティームの感覚を少しでも持つことができた。また、寮となるこの事務所の二階に住んでいる高校生たちとも一緒に働くことができた。

来年の寮作りの基礎となる。

ペンキ塗り

10月14日(日) 心からのマケドニアの叫び

10月14日 マケドニアの叫び

私と家内は、先週は、イラルトゥの地域の教会であるオランダ改革派・プロテスタント教会のカイマナ教会に出席した。でも、今週私は、事務所の近くにあるペンテコステ教会にあえて主席した。それは、インドネシアにある教会を広く体験したかったからである。

賛美と、牧師先生の説教は、耳が痛くなるほど音が大きかったが、(家内は、ちょっと耐えられなかったようである)ルディ牧師のメッセージは、心に届いた。福音が生きている。残念ながら、伝統的で、個人の救いの体験が全く強調されない教会もある。私は、インドネシアには、二つの流れがあると感じる。決して聖霊が豊かに働いているとは言えない教会と、非常に元気な、どちらかと言うと礼拝の賛美の盛り上がりと叫ぶような説教の中で、救いが強調されるグループである。中間が欲しいなと思う。

礼拝後、ヨハン兄、マリウス兄と私の3人で、これからの翻訳の働きなどについて3時間ほど話し合った。マリウス兄が、言ったことばが心に深く突き刺さる。

「パ・タカシ。私たちのイラルトゥの人々は、救われていない。長い間、悔い改めの祈りをしてきたけれど、何も変わっていない。どうか、イラルトゥの人々が本当に救われるように助けて欲しい。そうしないと、せっかく翻訳したみことばが役にたたなくなってしまう。」

マリウス兄は、オヤン牧師と出会ってみことばの意味について考え始めている。霊的な救いについて考え始めている。ぜひ、マリウス兄のため、また、ヨハン兄のために祈って欲しい。
そして、このマケドニアの叫びをしっかりと受け止めて奉仕して行きたい。
マリウス兄

10月10日 カイマナ郡副知事との面会

10月8日ー17日 カイマナ郡副知事マティウス氏と面談

10日ヨハン兄のガイドで、カイマナ郡副知事マティウス氏と面談することができた。カイマナ市は、カイマナ郡の首都であり、副知事は、ヨハン兄と長い間イラルトゥがどのように発展するべきかなど、話し合ってきた。ヨハン兄は、私を牧師として宣教師として紹介してくれた。

ヨハン兄、マリウス兄、そしてオヤン牧師と私は、このカイマナに与えられた土地と建物(主の不思議により500坪の土地と約100平米の事務所とヨハン兄たちの住む家が与えられている*)を用いて、翻訳の事務所だけでなく、屋根裏に人が住める用に設計してあり、ここにイラルトゥの高校生たちの寮を作る計画を立てている。町に来て、勉強に身が入らず、遊んでしまい結局大学などに進めないで村に戻っていく子供も多く、聖書を基本に、生活、勉強(英語なども教えて行く予定)、生活管理(手帳を持つ生活)などを教えて行きたいと思っている。

そのような構想を副知事に話し、理解を得た。今は、具体的な
援助をしてもらえるという感触はなかった。でも、イラルトゥの高校生が、しっかりとみことばを読んで、信仰を持ち、そして、大学や教員養成所などに進んで社会で証する人たちになって欲しい。夢は広がっている。

*この土地は、マランで与えられた車が高く売れ、手に入れる
ことができ、ヨハン兄もお金をつぎ込んでいる。今は、異文化
交流団体の名義になっている。
副知事

10月3日-21日

10月4日 懐かしい出会い

昨日。無事カイマナに着いた。長い道のりだった。パプアは、暑い。エアコンは寒い。飛行機も暑かったり寒かったり、家内も私も体調を壊した。ここでの気候に慣れるのに時間がかかるだろう。ヨハン兄、マリウス兄と会うことができた。夜散歩をしていると、パウロス兄が、私たちを見つけて抱きついてきた。顔をすりよせられた。会えた喜びを表現してくれた。私も嬉しい。

毎日のように色々な人たちが訪ねてくれた。翻訳にかかわっているアミナダブ兄、ユスティヌス兄、マルコを最初に翻訳したヘレンス兄など。「ゆり子はどうしてる?謙一は?純は?」という質問が飛んできた。ヘレンスも抱きついてきた。かなりやせたなあという感じだ。1985年村に入った時に、本当に色々と助けてくれたヘレット兄、今は、グシマワの村で牧師となったレオ・シャケマ兄も来てくれた。

イドゥル・フィットゥリ(イスラム教の断食明けのお祭り)で町は1週間にぎわった。お世話になったイスラムの方々とも会うことができた。
friends

10月3日-6日 ルカの福音書の嬉しいニュース

10月3日~6日 ルカ伝の嬉しいニュース

村からカイマナの町にやってきた人たちにイラルトゥの聖書は使われているのか聞いてみた。村の人々は、イラルトゥの聖書に興味を持っていないといううわさが、メールを通して日本まで届いていたからだ。

グシマワ村を中心とするトゥガルニ地域の「三位一体教会」は、今、アフアフ村の出身のレオ・シャケマ牧師が牧師をしている。すなわち私たちが奉仕した村から出た最初の牧師で、イラルトゥの村で働く牧師なのです。レオ牧師は、礼拝で印刷されたルカ伝を使っておりマリウス兄のお父さんのヘレンス兄は、もっと上流の村々で信徒伝道者の働きをしており、キンシ、ワイナガという村でも、イラルトゥのルカ伝を使っている。また、ちょっと離れたブルゲルバ、ティワラ、ワスワサの村々からもルカ伝を買いに来ており、使っている。
また、ヨハン兄の村では、牧師先生はイラルトゥの人ではないが、一生懸命勉強しているそうだ。隔週の礼拝でルカ伝が用いられている。私たちが、1985年に6週間住んでイラルトゥ語を学び始めた
フルアタ村からもルカ伝を求めに来たという。また、遠く世界一の銅山のあるティミカ市にも20人位のイラルトゥの人たちがおり、ルカ伝を送って欲しいというリクエストが来ているそうだ。心から主の名をほめ讃えます。

ヘレンス


最初に印刷されたマルコ伝を一緒に訳したヘレンス兄

10月3日-6日 ヨハン兄の成長

10月3日~6日 ヨハン兄の成長

2000年に帰国してから、私は、働きがほとんど進んでいないと思っていた。それは、全く私中心の考え方であることに気がついた。

ヨハン兄は、「パ・隆がいない。では、私は何をすべきか」という思いで働いてきたのである。土地問題も、ヨハン兄は、解決していた。井戸も自分で堀り、畑を作り、ココナツの木を植え、政府の援助を受けて、洗車のビジネスを始めようとしていた。

すなわち、私が7年間いなかったという「働き」があったのだ。イラルトゥの人々に自分たちの手で成し遂げようとする思いが主によって植えつけられた。すなわち、自立を促したのは、私がいつもインドネシアにいて一緒に働くことができなかったという事実による。

神の国は、どのように成長するか人は知らないのである。神の国を自分の手で成長させようと必死になることは愚かなこと。主のなさる業をはじめから終わりまで見る事ができないが最善の時を支配しておられる主のみ業の大きさをほめたたえたい。

ヨハン夫妻

10月4日

10月3日~6日 オヤン牧師の存在

2005年のクリスマスの近いある日、私は、児玉教会の会堂で祈っていた。「主よ。もうイラルトゥの働きから開放してください。私はできることはしました。後はあなたが働いてください。」そのとき、私の心に「オヤン・セセライ」というパプアで牧師をしている前の現地団体のコンピュータ部門で働いていた人の名前が浮かんできて、連絡をしました。彼は、自分の牧会の働きの一部としてイラルトゥ翻訳の働きのコーディネータを引き受けてくれました。

あれから2年。今回ジャヤプラから来てもらい。ヨハン兄とも私とも話し合い、一緒にどのように働くべきかアドバイスもくれたのです。私は、主が確かに導いてくださった人であるということを確認することができました。

一緒に話し合う中で、今は、働きの成熟期に入っているということ私たちが、出て行って、私たちの計画を実行する段階ではなく、このパプアの地に立つ人々が主にあって翻訳の働き、ともにみことばを読む働き、村おこしの働きを進めていく段階だということに気がついた。

できるだけ私は計画を立てない、ヨハン兄たちがどうしたいかそれをオヤン牧師に後押ししてもらう。家内と私は、徹底的にサポーター励まし手として働くということだ。
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10月3日以降

みなさん。10月3日になるとカイマナへ入ります。地図をごらんになってください。 ここマノクワリからそれほど遠くないのですが、電子メールができるかどうか分かりません。10月3日にカイマナに入りますとこのブログを私の代わりにアップデートしている矢吹先生にもメールができなくなると思います。たとえメールができるようになっても写真は重すぎる気がします。 もしかしたら日記が24日以降に一度に載るかも知れません。ヨハン兄が待っていてくれることを心から感謝します。また、カイマナの県知事のような地位の方にも会う手続きをしてくれています。 主がどのような方々に合わせてくださるのか楽しみです。皆さんが、祈りのうちに覚えていてくださることを感謝します。

サンパイ・ジュンパ(またお会いしましょう) フィリップ隆

10月20日 インターネットへアクセス!繋がった!!

10月20日(土) インターネット・アクセス



ついに繋がりました!インターネットです。お陰様でブログをアップデートできるようになりました。

カイマナで1985年依頼さまざまなことでお世話になっているカトリックの信者さんの娘さん、イタさんの紹介でカトリックの中学校のコンピュータ室からメールを送るのが大変でもインターネットに何とかアクセスすることができるようになりました。中学生にコンピュータを教えているのが、リアントさんです。本当に感謝です。


カイマナからブログへアクセスできるというのが夢でしたので日本にいるようには行きませんが、このパプアの地、しかも大きな町から離れた小さな町でインターネットにつなげることができるのは驚くばかりのできごとです。


 

リアント兄と

10月2日 オヤン牧師と・・・

私が日本に居ると、聞き役になる。ところが、インドネシアに来て、オヤン牧師に会った途端、ことばがどんどんと口から出てきて、私は何人なのかと思う。やはり、私は、ピリポ。ギリシャ語を話す「ユダヤ人」。用いられる場所は、サマリヤの地か。
昨日、ホテル(ちょっとお湯が出た。無線ランでインターネットに繋げる。エアコン。さすがにトイレット・ペーパーなし。家内と二人で2500円。朝食が着く)で会うなり、5時間ずっと話し続けた。家内は、具合が
悪く、私とオヤン牧師は外に焼き魚の料理を食べに行く。ごはんと新鮮な魚、野菜などがついて250円。イリアンは、物価がずいぶん高くなっている。

家内も私も風邪をひいた。家内は、ホテルから一歩も出ていない。私たちはエアコンの生活に慣れていない。暑い。寒い。暑い。寒い。疲れも加わって風邪をひいた。明日に備えよう。

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10月1日(月) マノクワリへ

旅の疲れを取るまもなく、月曜日の朝3時に過ぎに起きてスラバヤの空港に向かう。国内線は、1時間前にチェックイン。最終目的地のマノクワリに着くまでに3度も別の空港に止まる。そして、パプアの空港に降り立ったとたん。ジャワにはない暑さが体中を覆った。
体にささる太陽光の強さがぜんぜん違う。「パプアへようこそ。」まさにそのように感じた。

これがパプアの暑さ。想像以上だった。

9月29日(土)30日(日) スラバヤ集会の将来

信仰をもって一歩踏み出すとき、主は働かれます。28日の午後スラバヤに着くなり、直ぐにスラバヤ集会の将来についても話合いました。今日与えられた8人の方々の他に、スラバヤに転勤になるクリスチャンの方もあると伺っています。スラバヤは、今日本人は、500人位だそうです。この集会のために毎月奉仕者が与えられるようにお祈りください。
松本先生、安海先生、奥秋先生や他の先生方が月一回の礼拝が守られるように、主がどのようにこの集まりを導いてくださるかしっかりと見つめながら主に従って行きたいと思います。


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9月30日 朝の祈り

日曜日の朝の礼拝は、1997年以来のスラバヤJCFでの説教でしたので、どんな方が来られるのか分かりませんでしたので、やはり、緊張しました。朝4時、モスクのスピーカーが祈りの呼びかけの声を流す前に目が覚めました。(日本では、6時です) 誰も居ないスダルト先生ラットナ夫人の家のダイニングに陣取って、時間をかけてみことばを開き、主と交わり、祈ることができました。神様は、確かに働いてくださって、主のメッセージを語ることができたことを感じました。インドネシア人もおられるので時々2言語で混乱することもありました。(1言語でも混乱するので問題はないのですが) 日本の皆さんが祈っていることもお伝えできました。


9月30日(日) スラバヤ日本人集会

改革派神学校で教えながら日本人集会を導いてくださった後藤先生が8月末で帰国され、9月と10月、インドネシアのパプアへスラバヤの集会を導くことになりました。ラワンから2時間半かけて来てくださった旭さん、広いスラバヤから、日本の会社から派遣された鈴木さん、日本人にインドネシア語を教えるファニーさん、領事館の上野さん、インダさん、賛美の賜物があり、音楽を通じて日本人に伝道するように導かれているテグーさん、いつも家を開放してくださっているスダルト先生とラットナ夫人で10人が集まり、10時半の礼拝がいろいろあって11時過ぎに始まりましたが、主が働いてくださったと感じました。

写真は、ちょっとピンボケですが・・・

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9月29日(土) スラバヤ空港でおきた小さな奇跡

シルクエアで飛んでいるときに、スラバヤでの空港でのことを覚え祈った。過去には、荷物を全部開けられ、ビデオ・テープを全部没収されたりしたことがあり、今回そのようなものがないけれども、ヨハン兄たちのコンピュータもあるし不安だったので特に空港でスムーズに行くように祈った。

税関で、飛行機の中で見た人たちが荷物を開けられていた。
私は覚悟した。ところが、係官が私を通路の真ん中の方に手で誘導した。私は従った。すると、もう一人が私をドアの方に誘導した。私は家内に直ぐに付いてくるように言い、二人はあっという間に空港の外に出た。ペテロが気が付いたら牢屋の外に居たというのとはレベルが違うものの、主の哀れみに感謝した。

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プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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