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6月29日 ジャカルタへの旅立ち

6月29日(日) スラバヤ発 10:00am(日本時間12時) Garuda 311便
          ジャカルタ着 11:30am

ジャカルタの空港は、タクシーの呼び込みの声でごった返していた。混乱したので、ビザ担当のヘンキーさんに電話を入れた。「バスが良いよ。安いし。」 KFCでお昼を食べ、バスを待つ。確かに安い200円余りで町の中心街まで行けた。
jakarta bus


ところが、なんだかんだで、バスが出たのが12:40pmになってしまった。BlokMまで1時間もかかった渋滞だ。JJCFの松本先生の運転手と電話が繋がり、BlokMのバス停まで迎えに来ていただいた。ゲストハウスに行ってから2:30pmの集会に間に合わない。そう判断した運転手は、直接教会へ連れて行った。私は暑さのために汗をかいていたので、車の中で着替えた。日本ではなかなかできない。教会に着くちょっと前にすっきりと着替えることができた。

JJCFで、松本先生をはじめ、兄弟姉妹と礼拝を守った。久しぶりに会う人もいるし、初めてお会いする人も多かった。ゆり子のことを知っている人、スラバヤの集会に出ていた人、アメリカから来ている田井さたち、家族もおられ、お会いした。礼拝後一部の人と写真を撮った。
Jakarta JCF

夜は、ゲストハウスに行くのを取りやめ、松本先生のお宅で泊めていただくことになった。松本先生は、昨日日本からお帰りになったばかり、私も眠くなってきた。8時に寝ることにした。
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6月28日 スラバヤへ 日本人集会

6月28日 夜中1:50(日本時間) シンガポールへ到着。飛行機の中では、あまり眠れなかった。シンガポール空港の中をうろうろ。朝の7時まで待たなければならない。結局前回「泊まった」ラウンジのソファーでうたたねをして、時々自分が分からなくなった。朝熱いシャワーで生き返った。

6月28日 朝7:10 Silkairでスラバヤに向かう。隣に座った中国人の人が気になり、声をかけた。「ビジネスですか。」「いや。友人の結婚式でスラバヤへ行きます。」「あなたは。」ということで話しが弾み、彼はジャカルタの中国系インドネシア人と結婚してジャカルタに住んでいるシンガポール人だということが分かった。
Desmond Tay シンガポール人

彼は、私が翻訳の働きをしていると聞いて、「実は、私の家族に不思議にキリスト教が入ってきたのです。甥っ子が何度も教会に行きたいと行ったのに家族は反対していたが、ある時彼が教会に行かせてもらってから、私たち家族がクリスチャンになったのです。」「それで、あなたは、クリスチャンですか。」「よく分かりません。教会に行ってないし、聖書も読まないし・・・。」この飛行機の中で詳しい話をする時間がなかったのだが、どうしようと思っていると、彼が、名刺を出して、「今回は、ジャカルタで会えないようですね。私はシンガポールに戻らなければなりません。ぜひ、ジャカルタに来て、またお話してください。」

6月28日 午後2:50 昼寝から起き上がった。集会10分前、もう何人かの人達が来ていた。ここ数回スラバヤ集会に来ておられる児玉さん、奥さん、お子さんのウィルマさん。他は常連さんだ。午後1時に家を出たのに渋滞で3時50分頃ついた朝日さんもいる。賛美をし、主の祈りをし、みことばを学び、献金をした。最後に、スペインに6週間勉強に行く、ウィルマさんのために、特別に祈りを捧げた。それから夕食の交わり。みなさん。私たちがもう一度任地に行くことを喜んでくださった。
スラバヤ集会 20080627


私の目は眠くてとろとろになった。ジャカルタの松本先生に電話をして、すぐ眠りに着いた。
おかげで、夜中の2時にこれを書いている。では、おやすみ~。

6月27日 出発です

今成田です。今週は訪問ビザをいただいて出発したかったのですが、現地の町が停電だったり、出入国管理官の方が一日中外に出ていたりで、ファックスが届いたのが一日手遅れ。残念。でも、きっとこのことも益としてくださるでしょう。もともと仕事をするよりも、人に会うことが目的。蕨教会の牧師先生にも、「仕事をしないほうが良いです。仕事はこれから一杯できます。むしろ、いろんな人に会い、色々なことを見てきてください。」と励ましていただきました。

19:10 成田発です。シンガポールへ

家内はお留守番。
荷物が重たくてちょっと疲れました。
これから長旅夜の旅、眠れますように。

では。18:18

団体のフルタイムメンバーとして受け入れられました。6月27日出発

皆さま、ご心配お祈りをありがとうございました。昨日6月16日団体の委員会でイラルトゥ人のためのフルタイムメンバーとして正式な受け入れが決まりました。これから蕨教会を中心に支援会が立ち上げられます。更にお祈りに覚えてくだされば幸いです。

6月27日日本を発ち現地に向かいます。特に私たちが協力して働く現地の団体のオヤンさんやアグスさんとの話し合い、その外できるだけ多くの人達にお会いして主の導きを求めて行きたいと思います。

6月28日  スラバヤ市着
6月29日  ジャカルタ市着
7月2日   パプアに向け出発
7月3日   朝パプアに到着
        10日ほど滞在 現地団体との話し合い、関係者の方々との話し合い  
7月10日  この頃、カイマナに向けて出発(場合によっては早くなります)
        ヨハン兄、マリウス兄との話し合い
        多くの人との出会い
7月25日  朝成田着

感謝。


ピリピ1:12 人生のマイナスがプラスに

自分にとってマイナスなことが起こるのはいつものようです。でも、人はマイナスなことが起こるとがっかりする。聖書は、もしかしたらキリストにある人生にマイナスはないと言っているのかも知れない。

  ピリピ1:12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

2000年6月、原因不明の病気で帰国した。その時の気持ちは今でも覚えている。「あのマランの大学で仕事をしすぎなければ、こんなことにならなかったのに。」「この身体を抱えてこれからどうしよう。」自分の心の中に積極的な気持ちは起こってこなかった。当たり前かも知れない。

帰国後の蕨教会の礼拝で、このピリピの手紙からメッセージが語られた。その時に、この12節は、私に希望を与えた。パウロは、キリストのために投獄されていた。彼は、「おれはだめだ。」とか、落ち込むよりも投獄されながら自分に与えられた使命を果たした。すると、彼に起こったマイナスが、大きな目で見るとプラスになっているのを発見した。嬉しかっただろうな。

この8年間、児玉教会の牧師としてイエスキリストに出会う人々を見させていただいた。家内の父を見送り、ゆり子や純の大学卒業、就職への道をともに歩み、米国の謙一の大学卒業式にも参加させていただいた。そして、蕨教会の兄弟姉妹との交わりの中で再び派遣されようとしている。病気も完全に癒された。派遣の仕事で出会った方々も私の人生の大事な一ページ。この8年間を通して自分にとって帰国したことがマイナスだと思わされていたことが、すべて感謝な人生のプラスになっている。

パウロが投獄の中でキリストにあってプラスに生かされていったそのことを2000年後の自分の人生の中で実体験できるのは、本当に幸いなことです。

再派遣が蕨福音自由教会で決まりました。

6月1日は、記念すべき日になった。蕨教会の横山先生を初め、執事の方々の励ましの中、総会でイラルトゥへの派遣が決議された。後は派遣団体での決定が残るのみとなった。蕨の教会の兄弟姉妹が、情熱と喜びを持って決議してくださって、主がこれからなさる働きに喜びを持って出て行きたい。

高崎の狩野外科医院の狩野和夫先生が、健康診断をしてくださった。写真やプリントアウトを見ながら「問題ありません」と言ってくださった先生のことばに感慨無量だった。思えば、原因不明の病気で帰国した2000年、低血糖症と診断され、長い戦いをして来た。2006年秋田大学医学部の石川和夫先生の紹介で低血糖症・代謝・糖尿の専門の山田先生から低血糖症がないということを言われ、内臓脂肪を指摘され、キャベツダイエットで2キロぐらいやせ、よく眠れるようになりどんどんと元気になった。

一つ一つのプロセスの中に主がおられた。2週間ほど前、派遣でであった一人の方に、「松村さん。本当に神様っているの。神さまは生きているの。」聞かれた。私は日々私の人生の中に生きている主を紹介した。
プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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