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7月19日(土) ヨシとヌール家に泊めてもらう これも不思議

yosi paulus
カイマナに来てから直ぐに散歩がてら、昔からの友人ヨシの家に行った。そうしたら、「どうして、ホテルなんかに泊まっている。家に泊まりに来てくれ。」彼との付き合いは長い、バンテミの事務所の土地も分けてくれたのは彼だ。ただ、彼の家に泊まると、どうしても彼の家の付き合いの中に引き込まれてしまう。ホテルは、ニュートラルだ。どこにも行ける、誰にも会える。でも、余りに勧めるので、土曜日に行くよと言っておいた。彼は乗り合いバイクで迎えに来てくれた。
Hotel Breakfasttakfish
でもちょうど良かった。カイマナに来て、野菜を食べる量が減り、朝ごはんは、ご飯とやきそばだったのでちょっと飽き飽きしていたのだ。ヨシと市場へ行って、ぶりの一種を買ってきた。今度は大きかったので刺身にすると食べごたえがあった。
yosi & yohan
(写真:空港でヨシとヨハン)ヨシの家に泊まるのも実は主の伏線があった。ヨハンの家が焼けた時、土地の権利書も焼けてしまった。ヨシから土地を買ったときにもらった領収書も消えていた。ヨハンに、もう一度ヨシに領収書を書いてもらってくれと頼まれたのだ。私は土・日の2日間を費やして、ヨシと私の関係、ヨシとヨハンの関係に問題がないようにと探りながら話し合った。とても楽しい時だった。そして、主が「今こそ時だ」という時に、私はヨシに、「悪いけれど、領収書をもう一度書いてくれないか」とたずねた。彼は喜んで書いてくれた。今回ヨシの家に泊まることさえ主の御手の中に計算されていたことを感じた。
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7月16日(水) イタ姉妹

itaHotel Bicari
1985年以来、お世話になったお店のご主人テオさん。村に行くためのガソリンがないとき、分けていただいたり、お米がないときに、調達してくださったり、助かった。その娘さんのイタさんが、泊めてもらったホテルの隣りにカイマナ唯一の薬局を開いている。

毎晩8時過ぎから10時までイタさんの薬局へ行って、お客さんでごった返すお店の中で、信仰について、また、結婚について話し合った。日本に帰ってきたら、「あの日本人の”店番”は、どこへ行ったのか。」と聞く人がいたという。「私は、4日間しか”雇う”ことができなかったので、もう帰ったよ。」(笑)とお客さんと話していたそうだ。
Ita at maria statue
イエス様に対して真剣なイタ姉妹が、主イエスキリスト様が共に居て生きて働かれることを味わって欲しいと願っている。「どうして、松村さんは、わざわざ遠い日本から翻訳をするために来たんですか。」「どうすれば、神さまのみこころって知ることができるんですか。」色々質問してくれた。

7月15日(火) ヨハン兄の焼けた家 建て替え中!

Bantemi officeLeft Over Yohan's house
カイマナ町のバンテミ地区にある翻訳事務所に建っていたヨハン兄の板張りの家(左の写真の右側に建っている=昨年撮影)は、30分で完全に跡形もなく、燃えてしまった。(2007年12月14日)幸い、だれも怪我をすることもなかったが、土地の権利書も含め、服も、翻訳の資料も全部燃えた。昨年私たちは、ヨハン兄から使徒の資料のコピーを全部もらっていた。主は不思議である。
ヨハン夫妻
ヨハン兄の奥さんは、外出していた葬儀から帰ってきて跡形もなくなった家を見て言ったそうです。「どうして、神さまは私たちにこんなことをするのだろうか。」すかさず、ヨハン兄は、彼女に言いました。「神さまを悪者にしてはだめだよ。このことを通しても神様は栄光を表してくださるはずだよ。」私はその話しを聞いて、自分の信仰がそこまで主に信頼しているかと考えさせられた。
Rebuilding Yohan's houseRomilus Rebuilding
感謝なことは、カイマナ町が見舞金として、トタン屋根板200枚、セメント75サックをヨハン兄にくれた。と言ってもぜんぜん足りない。木材、釘、ペンキ、セメント、ドアなどなどのお金が必要で、私たちの友人が下さったお見舞金と一緒にヨハン兄に私たちもお見舞金を少しでも足しにと渡した。家族で、事務所に住みながら、事務所の隣のヨハン兄の土地に、自分のセメントの家を建てている。完成したら、それは、頑丈で前よりも立派な家になる。しかも、すべてが彼のものだ。こんな感謝なことはない。

7月14日(月) ヤジャシ航空 カイマナへ直行

Silent groupGustaf & Darsono
オヤン牧師夫妻と娘さん、教会員の3人の方々が、センタニ空港まで送ってくださった。ヤジャシのハンガーの隣りにあるアマ(カトリック)航空のハンガーがあり、たまたま居た、旧友のダルソノ兄、グスタフ兄が目ざとく私を見つけて握手をしに来てくれた。オヤン牧師が、冗談で「タカシさん。この”かわいそうな”二人のパイロットを祝福してくれ」と言い、そこでこの写真になった。
Takashi step on PC12Moxness
PC12という新しい飛行機がヤジャシ航空に献品され、現在用いられている。カイマナの近くのナビレという町までほぼ毎日飛んでいるとパイロットのトム・ビークマン師が教えてくれた。そこから35分でカイマナ。途中宿泊することなく直行できたのは、本当に主の恵みと哀れみだった。途中までダラス時代からの友人のマクスネス師の家族とも一緒だった。朝、7時過ぎに出発、内陸の山の中のムリヤに飛び、ナビレに飛んで、カイマナに着いたのが、10時半だった。
Yohan & Tom
1年ぶりにヨハン兄とカイマナで会った。空港関係者は、見慣れない飛行機に驚いていた。

携帯電話 パプアのライフライン

今回携帯電話がこんなに普及しているとは思わなかった。プリペイド・カードを入れ替えるだけでSMS(ショート・メッセージ)のメールがやり取りできる。電話線のインフラが余り進んでいないこの国では、携帯は、爆発的に普及した。約1ドルで、1ドルの通話料金を含んだプリペイド・カードを買って、1000円分入金した。最初に使って捨てたカードは、日本までSMSが送れた。

sony erricson

赤外線のメルアド交換というのはないが、SMSで簡単に電話番号に自分の番号を送れた。私の現地用の携帯は、直ぐに電話番号で一杯になった。今でも私のソフトバンク携帯に、現地からSMSメールが届く。向こうからだと1メール7円位(概算)だそうである。

将来は、祈りの課題をSMSでリアルタイムに日本に送りたいと思っている。それにしても、携帯で文字を早く打つ人が一杯居る。日本みたいだ。

7月9日 疲れた 休み おさしみ

この国に入ってからずっと走り続けた。日曜日も月曜日も土曜日もなかった。それで、9日は、朝寝、昼寝をした。
ikan merah
オヤン牧師の家は、魚市場が近く、朝早く魚を買いに行った。この鯛(たい)は、確か2匹で500円位だった。台所を借りて、包丁を借りて、3枚に卸し、肉だけを皿の上に置いた。残念ながら包丁があまりきれない。レモン汁をかけ、冷蔵庫にしまって、日本から持ってきた醤油とわさびで食べた。何とみんなが食べたいというので分けたら、みんなおいしいという。日本文化がパプアに根付いた瞬間である。
Fish Market
市場の雰囲気が好きである。バナナは、正直言って余りおいしくなかった。市場に送るためにかなり青いうちに収穫がされているのだろう。オヤン牧師が積極的に朝早く市場に連れて行ってくれたのは心の休みになった。

7月11日(金) YPAの働き人たち

Markus & Phonology
YPAでひときわ有名な人がいる。「ニューギニア高地人」を書いた明治大学の文化人類学者祖父江氏が、記した裸族のダニ族の近隣部族のワラック族から出たマルコス牧師先生だ。彼は、ダニ族の翻訳が終わったときに多くの人が文字が読めなくて聖書が読めないという話しを聞いて、識字教育(リタラシー)を自分の働きの中心においてきた。すでに2000人以上の人が彼が作った識字教育のプログラムを卒業しており、今は4000人以上の人がプログラムに入っている。彼のプログラムは、飛躍的に成功を収め、メガワティ大統領から直々の賞をもらい、パプア州の政府からも一目置かれている。
Chorny
コルニー兄は、私が1998年から2年間に渡り、英語の上達のために訓練をして来たスラウェシから来た人だ。オボグイ語の翻訳の働きをしている。彼は、私たちが送り出したフィリピンでの英語訓練、そして、オーストラリアでの言語学の訓練を受けた後、ドイツに突然消えた。今回、彼がドイツ人の奥さんとお子さんを連れて宣教師として働いているということを知り、主の御名をほめたたえないわけにはいかない。

「松村さん。オボグイの人達は翻訳だけでは救われません。毎週聖書を彼らに教えています。」話しの最後に「一緒に祈りましょう。」と祈りを進めお互いのために祈りあうことができ、彼の成長に私は目を細めた。

7月7日 YPAの新しいビジョン カイマナへ

Agus on White board
パプアでの訪問は驚きの連続だった。でも、一番感謝しているのは、主が私たちを確かにもう一度遣わそうとしていることが感じられたからだ。「神さまは、人を必要な時に、必要なところに遣わされます。神様は、松村先生をしばし日本にしまっておかれました。でも、今必要になったので、このパプアに遣わされました。」アグス伝道師は語りました。
michiko ibu Yohan
これは、昨年取った家内とヨハン兄の奥さんの写真だが、私たちがこのパプアで必要とされているということ、人々が私たちを必要とし、神様が私たちを必要としているということは何と喜びだろうか。実は、アグス師が中心になって考え出したKATプログラムを正に私たちのイラルトゥのプログラムを中心に始めようとしている。カイマナにYPAの支部を作るという計画だ。

私たちがビザをもらうために、YPAを必要としているのではなく、YPAがそのビジョンを達成するために私たちを必要としているというのは、パプアで1984年以来はじめて経験する働きの新しい局面だと感じる。

7月7日 Titip(1年の訓練学校)の発展と、外国人たち

Pedalaman Speaking English
残念ながら、YPAが一番今用いられているTitipというプログラム(オランダの教会から援助をもらっている)が行われている寮と学び舎の写真を撮るのを忘れてしまった。でも、その学校を今まで立ち上げるのに大きな働きをして来たラリーさんと外で話しをしていると、突然、一人のパプア人が、つかつかと近づいてきて、流暢な英語で彼と会話するので、腰を抜かしそうになった。彼は、日本人がパプア人とは、こういう人だと想像するその通りの(裸族)の一人だ。
larry & boys in the shack
ラリーたちは、毎年16人の学生を受け入れ、彼らに英語、クリティカルな考え方、数学、職業訓練、信仰などを教える。今年は、750人の応募者があったそうだ。学生たちはここで信仰も、生活も、学業も訓練を受け社会に羽ばたいていく。国内留学、海外留学する人だけでなく、パイロットになる人ももう数人起こされている。
Willa & students
Scott & Elle
ある日、オヤン牧師のところにアフリカから一通のメールが届いた。彼女は、Titipの卒業生だった。どんな団体で彼女がアフリカに遣わされたか僕には分からない。でも、主が遣わしたのだと思った。「オヤン先生。私はTitipで訓練されたことを本当に主に感謝しています。今私はこのアフリカの地で主に仕える働きをすることができます。」 異文化宣教協力会が、私たちを招いてくれるのだが、神様が用いて下さっているところで仕えることができるのは幸いだ。

7月5日 オヤン牧師と家族、教会の方々と

Oyang Me
オヤン牧師と私の間には、特別なつながりがある。2006年12月教会の会堂でお祈りしていた時に、名前が浮かんできて、それ以来翻訳の働きをずっと助けてくれた。しかし、彼が理事長である異文化宣教協力会(YPA)とは、コネでつながっていない。
Oyang Sri Me
今回の旅は、人の話しを聞く旅であったが、神さまは、話しを聞くことを通してその方々の痛みや、傷、疑問を癒されるという伏線があった。スリー夫人は、ご自分が悩んでいることを話してくれ、共に祈った。
Oyang Church members
オヤン牧師の奥さんは、スラウェシの人で、髪の毛がストレート、その部族の人は、肌の色は白い人が多い。オヤン牧師は生粋のパプア人である。教団の牧師先生の99%は、奥様の部族の方々、一人だけパプアの牧師である。しかし、彼の人生に触れ、感謝するのは、みことばの原則に生きる人であるということであり、自分の肌の色、家系の違いなどで動かされない。私が客観的に見ると、大変だろうなあと感じる。

7月4日 ビジョンを自分で生きる理事たち

soto
センタニの空港で待っていたアグス伝道師とオヤン牧師は、YPA(異文化宣教協力会)の理事である。まず、朝食にと私をソト・アヤム(鳥のスープ)の店に連れて行ってくれた。懐かしいスープの味に感動しながら、理事たちの話にも感動した。

Agus Family

アグス伝道師の家に泊めてもらった。彼は、フリーな立場で、「男のグループ」の説教者として用いられ、パプアの家族の回復のために、夫(男性)が一家の柱として信仰を築き上げることを一つのビジョンとして歩んでいる。それがYPAのビジョンの土台にもなっている。それを「語っている」だけでなく、「生きている」姿に感動し、このような団体と協力して歩める恵みを感じた。

7月3日 パプアへ到着

papuaairport 朝8時過ぎ、パプアに到着。パプアの空港は、飛行機がならんでいた。こんな光景今まで見たことがない。多くても2機だった。ずいぶんかわったものだ。
Sentani airport
預けた手荷物を待っている。この人ごみの向こうにどんどん?と荷物が運ばれてくる。私は、ワメナ(内陸の山奥)から来たというポーターさんに荷物を頼んだ。20000ルピア(200円)を上げた。彼の収入に少しでもなればと思う。
borobudurこれは、私が知っているセンタニ町の街並みではない。ボロブドゥールというモールが作られていた。
Oyang Agus

左がアグス伝道師、右が、オヤン牧師。それぞれ教会は違う。オヤン牧師は、異文化宣教協力会の理事長であり、総主事。アグス伝道師は、理事で、この団体がパプア人の成長のためにもっている学校で信仰について教えている。二人とも、世界的なビジョンに燃えている。

帰ってきたよ。ご無沙汰ごめん。

7月25日朝7:40成田に着きました。乗っていた飛行機がエアバスA-380でしたので写真を撮ってしまいました。この1ヶ月を振り返ると正にイエスキリストが先立ち、共に居てくださったという旅でした。自分がコンピュータにたたいた日記は、60ページにもなりました。正直言ってブログにアクセスできなくて助かりました。とにかく人に会い、話しを聞くという日々で日記を書くのはいつも、数日後という日々でした。少しずつこのブログにも載せて行きたいです。と思っているうちに夏のキャンプ突入です!お祈りくださった皆さんありがとうございました。


A-380


プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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