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憩室炎だって!

5月22日金曜日からお腹全体に痛みがあった。

土曜日に胃の痛みを止める薬を買って来て飲んだ。
なぜか1回は効いた。



礼拝の奉仕を終え、日曜日は特に痛みを感じることなく終えることができた。



月曜日、朝から再び痛みだした。どうしても取りに行かなければならない書類があり、電車で児玉に出かけた。

ところが、行く途中、バス停から家までの間に、お腹の右側が痛くなった。家内に電話を入れ、いよいよ盲腸かもしれないと連絡した。

「主よ。家まで帰れますように。助けたまえ。」祈った。



急いでまたバスに乗り、本庄駅から電車に乗って家に向かった。
座れたので、お腹のあちこちを手で押してみた。



でも、痛いのは、むしろ脇腹に近い方。下腹部ではなかった。


それで南浦和駅に迎えに来てくれた家内に、盲腸ではないと
話した。

食欲もあり、吐き気もないから大丈夫ということで、救急で病院に行かないで、翌朝、すなわち今朝外来で病院に行くことにした。



歩いて5分、市民病院がある。感謝だな。
パプアでは考えられない。



結果は、憩室炎(けいしつえん)大腸の壁にへこみができて、炎症が起こっているということだった。重傷ならば入院してもらうのだが、軽いので薬を一週間分飲んでもらって様子を見ましょうと、帰って来れた。



エコー担当の人が、楽しそうにかなり時間をかけて写真を撮っていた。


もう一人の人と相談し合って、

「これじゃ痛いでしょ。もっと早く来なければいけなかったよね。」だって。



しかし、人間の体の中を見てしまう技術はすごい。



蕨市民病院は、インフォームド・コンセプトをうたっている。

担当の、坂本和宏先生は、丁寧に説明してくれた。



基本的に病院は嫌いだけれど、
丁寧に説明してくれた先生は、かっこいい。

またお願いしたいという思いだ。




それにしてもパプアに行く前に起こってよかった。


皆さん。病院は早めが良いかも。



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毎日祈ることは戦いだ。Global Day of Prayer (全世界中で5億の人と祈る)

2日目は、家内と祈ったが、家内がパプアの状況のために長く祈ってくれた。新聞の記事を切り抜いて、アジアが中心だが、各国の状況を調べつつ祈った。


3日目は、祈る時間が遅くなったので、電話がなったり、玄関のベルがなったりあまり祈れなかった。


4日目は、日曜日、早天から始まり、一日忙しく、青年たちとの交わりをして、結局朝自分で少し祈っただけであった。



祈りは戦いだ。


全世界の祈りの週間が始まった。

グローバル・デイ・オブ・プレーヤー(全世界祈りの週間)が始まった。昨年世界204ヵ国5億の人たちが、10日間祈ったそうだが、今年は、21日から31日のペンテコステの日に向かっていろいろな形で祈っている。昨年は、日本では数教会しか参加しなかったようだが、今年はあちこちでイベントもある。


今年は、31日、東京でも、昨年同様宣教教会(世田谷祖師谷)で祈り会が行われるが、午後3時から、青年会主催で祈り会が行われると聞いている。

新宿の東京中央教会では、5時から6時まで祈り会が行われる。(GDOPの公式サイトにでている)


祈りのガイドが必要な方は、ここから

http://www.gdopjapan.com/prayerguide


第一日目
「すべての国々が一つの民として、神の御前に集えるように祈りましょう。」と書かれている。・・・神の御前で一つの家族としてください。



昨日、団体の合同婦人会があった。
説教がエペソ4:1-16から語られた。


体が一つ、「一つ一つの部分がふさわしく働く力」とある16節がいつもと違うように聞こえた。



今まで、全世界の教会って何か、よくわからないぼやっとしたものだ、自分の教会のことばっかり考えやすい私たち。

ところが、今全世界の5億以上の人と一緒に、全世界の人々のために祈り始め、このキリストの体の意味が違ってきた。もっと現実になっている。

今日も、世界の人と祈りつつ。

父と母を敬え マタイ15章

現地に出発できない状況であまり書くことがありませんが、聖書のことばの意味を調べていてびっくりしたことを書いてみます。



「父と母を敬え、」というマタイ福音書15章4節を読むと、あなたはどんな印象を受けるでしょう。

敬うということは、心のことです。もちろん、親に向かって「お前」と呼び捨てるようなことを神が願っていないのは、敬うということばから分かります。でも、マタイが書いているのは、その程度のレベルの心の尊敬を言っていないのです。


イエスは次のように言っても良いという宗教家に怒っておられるというのです。

5節からすると、父や母に向かって、「私からあなたの(生活を助ける)ために差し上げるものは、(神様への)供え物(献金)になったので、あなたにはもうあげられないのです」と言っている人は、それは妥当なことであり、それで良いんだと平気な顔をしていっているが、あなたがたは、神が語っている命令を台無しにしている。


親が困っているのを支えるのが子供として当然だとイエスは語っている。その支えるべきお金を神様にささげてしまったから、あなたを支えられませんということを神様は許している訳ではない。とイエス様は語っているのです。



改めてこの箇所を深く読み返して私も読み方が間違っていたなと思わされた。




私は、この日本語訳は、神の語ることを精神的な面だけでしか表現し切れていないように思う。

あなたの父と母を敬い助けよ

そんな訳ができたらと思う。そして、本当に親を助けるお互いになりたい。


bara



じゃあ。


プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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