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パプアの団体 オヤン牧師先生 スリー夫人

oyang sri


現地団体の代表オヤン牧師先生とは、1984年(昭和59年)からの付き合いだ。当時、インドネシア語の先生だったオヤンさん他何人も友人がいる。今もジャカルタの現地法人で働いている友もその中にいる。

オヤンさんは、8月の理事会で再び団体の主事になった。2006年に会堂で祈っていたときにオヤンさんの名前が浮かんできた。彼に連絡をすると私たちの働きを助けてくれると返事をくれ、それ以来非公式に協力してくださった。

そのオヤンさんが代表の団体が、正式に私たちを招聘し、今ビザを申請している。そして、8月31日から奥さんと二人で、カイマナを訪問し、政府の要人や、ヨハン兄たちなどとこれからの働きについて話してくれる。

奥さんは、いつもオヤンさんをサポートしてきた。でも、今回先生に同行して、この働きのために一緒に関わってくれることは大きな力だ。

お互い、髪の毛は1984年当時よりずっ~と薄くなった。でも、いろいろな面で成長させていただいたと思う。今協力して働ける幸いを覚えています。


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ビザのプロセスが始まりました。お祈りください。

パスポート

オヤン先生から、携帯にメールが来て新しいパスポートや家内の写真を送ってくださいと言ってきました。前に、訪問ビザの申請をしたことがあり(実際には時間が間に合わなくて使えなかったのですが)、私の書類は全部ビザ担当の方に送ってありました。メールが届いた数分前に、私はすでにジャカルタにパスポートの全頁のコピーを送ってありました。それで家内の写真も前に撮ってありましたので、早速送りました。どうぞ、ビザのプロセスが速やかに進むようにお祈りしてください。

私はと言えば、帰国以来体の調子があまりよくなかったのですが、今朝起きたときに原因が分かりました。鼻の奥が狭くなっていて空気の通りがよくないのです。早速耳鼻科に駆けつけました。中が炎症しているということで鼻の奥に薬を塗ってくださり、また飲み薬をくれました。

後は薬が効くのを待つのみです。大分鼻の通りがよくなってきました。感謝です。

では。

新松戸の教会 礼拝

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新松戸教会の礼拝にお招きを受けてメッセージに行った。ウェルカム礼拝。司会者の方がギターを弾いて、ベースとドラムとピアノだ。皆さんうまい。年配の方も結構ノリノリで賛美をした。話してみると結構関西の人が多かった。それでノリノリなのかな。

shinmatsureih


牧師先生は、他の教会でメッセージをしておられた。食事をいただいて、話しに花が咲き、あっという間に時間が過ぎた。話しは、あちこちで盛り上がっている。楽しい教会だ。久しぶりに訪れたけれど皆さんが歓迎してくださって、スライドをお見せしたら、「よくわかりました。」「祈っています。」とのコメントをいただいて励ましをいただいて帰ってきた。

minasan arigato


パプアの思い出 モア夫妻 地味にでも着実に

moores

1984年(昭和59年)4月、初めてパプアに降り立った。時を同じくしてパプアにやってきたのがモアさんご夫妻だった。オリエンテーションを一緒に受けた。

ご主人が、アマチュア無線の免許も持っており、無線技術者だったこともあり、電気を趣味としてアマチュア無線の免許を持っている私と直ぐになかよくなった。奥さんは、美術が大好きでインターナショナル校で美術を教えている。

センタニのホテルに泊まった日の夜、電話をかけた。電話を切った後、直ぐにヘンリーから電話がまたあり、ローズが泊まりに来れるかと言っているということで一晩泊めていただいた。家に入って驚いた。私たちが最後にパプアを去ったときと全く同じだった。私たちが町に出てくるといつも泊めていただいた部屋をきれいにして待っていてくれ、私との再会を喜んでくれた。

trans

夜電圧が220vから百数十ボルトまで下がる。大きなトランスは、昔からある。

waterfilter

パプアの必需品。スイス製の水フィルター。

ricecooker

炊飯器も、電気オーブンも年期が入っている。

モアさんたちを見ていると、忠実に変わらずに神さまに仕えている。そんな印象を受ける。私のように日々いろいろなことで気持ちの変化が大きいが、彼らは淡々とこなす。大雨が降って浄化槽が沈んだことも楽しそうに話す彼らに何のきらいもない。

もう直ぐパプアを引退することも考えているそうだ。

パプアの旅の思い出 ヘノ・ソシロ牧師 81歳

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今回12年ぶりに、スラバヤから5時間かけて昔大学で教えたマランの町を訪れた。本当は、3時間で行くはずだったが、スラバヤ内を2時間回って散らばっているお客を拾っていったので時間がかかった。

マランで、ソシロ先生ご夫妻を訪問した。奥様ともご高齢になられていたが、先生は、81歳にも関わらず大きな声で、パワフルな説教をされた。ご長男は、私の友人ダビデ博士だ。今UBS世界中を飛び回って非常に大きな働きをしておられる。貧しかった伝道の初期のことを話してくださった。ダビデさんは、底に穴が開いた靴で中学校へ行った。

神さまが祝福してくださったと、何度も繰り返す先生は印象的だった。今度はお隣の土地が手に入って会堂を拡張することも話してくださった。

betheltabernaclech





パプアの旅の思い出 主は人をお用いになる 松本章宏先生

matsumotoshi

パプアへ出発するにあたっていつもはスラバヤ経由で行くのだが、キャセイ航空が非常に安く、しかもジャカルタ経由で行くとその日のうちに着くという事が分かったので、ジャカルタの松本先生にメールをしました。するとあれよあれよという内に日本人のために奉仕することがどんどんと決まりました。

神さまは、人をお用いになるということを今回も本当に感じました。松本先生は、運転手と車を空港まで送ってお迎えくださり、旅のストレスを半分にしてくださいました。(空港に着くなり値段の交渉、タクシーの呼び込みなどと戦わなければなりません。それがストレスです) 私を2度にわたり牧師館に泊めてくださり、パプアへ行くためのチケット、スラバヤからジャカルタへ行く3週間先のチケットの購入や、友人の口座に送金してくださったり、本当にお世話になりました。

どちらかというと優柔不断、行き当たりばったりの私のために、松本先生がどんなに大きな励ましと力になったか計り知れません。おかげでより多くの日本人の方々にお会いできました。ハレルヤ!

パプアの旅の思い出 ワコム行政区長さん

oyangwakum

オヤンさんは、ワコムさんと会えてえらく感激していた。彼がジャヤプラに帰る前の日のことだった。「最後に、この方に会えて良かった。」

私は彼に会うのは、2年目だ。これからの働きにおいて彼の存在は大きい。「私は政府の役人としてできるだけ松村さんの助けはします。」と言ってくれた。

彼は、グシマワ村だけでなく、もっと奥地に入っていく。モーターボートでできるだけ川を上り、ボートはおいたまま4日間山道を歩いていく。そしてようやく到着するピゴという村まで2回行った。それは役人としての熱心さというより、キリストに仕える者としての熱心さだ。そこまでする役人の人を私は見た事がない。

パプアの旅の思い出 バリの日本人の方々

balijapan


人は、天地、人類(私たちも含む)を創られた神の示される道に生きるときに喜びと祝福の中を歩む。たとえそれが試練の道であっても。

数年前バリの日本語で聖書を読むことに餓え乾いていた日本人クリスチャンの方々を助けたのが、当時糖尿や心臓の問題を抱えながら神さまに導かれてバリの地を踏んだ奥秋さんだ。今回お会いした日本人の方々が口々に奥秋さんが来てくださって私たちは救われたと語った。

日本では、何でも有り余っているような気がする。食べ物も1日何百トン(訂正:2万トン)と捨てられる。聖書のことばに餓えていたバリの方々は、私を毎日4時間引き留めた。「松村さん、すみません。長い時間おつきあいいただいて」と言いつつも、彼らは謝っていない。(笑い) 必死なのだ。

人は、物でも、心でも、信仰でも、豊かさを味わっている時が本当に幸福なのか。そう思わされるバリの旅だった。自分の人生に足りなさを見いだすときに、私たちは神を呼び求め、必死に聖書のことばにしがみつく。この方々に会えて本当に良かった。

ヘンキー・セオさん 骨折して?今朝ジャヤプラに 8月17日

hengkyseo

昨晩、11時頃だったと思います。珍しく起きていたのですが、オヤンさんがスカイプ(コンピュータ同士で繋げる電話)で私を呼んできました。電話はつながりませんでしたが、ヘンキーさんが昨晩ジャヤプラに来るために出発したのですが、空港に行く途中事故に遭って手をひどく痛めたらしいという連絡でした。(10:30amオヤンさんから連絡があって姑さんの家に送り届け、夜にでも病院に連れて行くということでした。)

ヘンキーさんは、パプアの団体の理事の一人ですが、ジャカルタでビザの申請の担当をしており、私の招聘についても現地での奉仕の立案において重要な働きをしています。今朝、6時にジャヤプラ市(センタニ空港)に着いていると思います。独立記念日で病院がどうなっているかオヤンさんも心配していました。ヘンキーさんが適切な治療が与えられるようにお祈りください。今週、現地の団体の総会が開かれます。

その後、8月19日の夜10時ごろ電話回線でスカイプに出てきたオヤンさんから、今はヘンキーさんもすっかり元気になって会議に出ているということでした。祈ってくださり感謝します。ハレルヤ


パプアの旅の思い出 シッドとブラッド パイロット

syd&brad

私がスラバヤに着いてからパプアの山の中で飛行機が落ちたニュースを聞いた。この国では、よく飛行機が落ちる。私も落ちた飛行機と同型機に一昨年も乗った。

でも、昨年から私たちの団体が新しい大型の飛行機(9人乗り)を導入し、ジャヤプラからカイマナまで早く、安く、安全に飛ぶ事ができるようになり、今回もオヤンさんとカイマナまでこの飛行機で飛んだ。今回は、シッドとブラッドがパイロットだった。安全に働き人を目的地まで届けるためにこのような訓練を受けた人たちの献身的な働きが生かされている。

oyangflight



パプアの旅の思い出 コルニー・バウィアス師

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「堅く立って動かされることなく、主のわざに励みなさい。」
他の人の成長を助ける働きってこんなにすばらしいものかと思わされる。

カイマナに出発の7月28日の朝、オヤン牧師と団体のハンガー(飛行機の格納庫)に着くと、そこに懐かしいコルニー兄がいた。いやコルニー師と呼ぶべきであろう。ドイツ人の奥さんと3人のお子さんがいる。1998年から2年間英語を教え、フィリピンに更に英語を学ぶため、更に言語学を学ぶためにオーストラリアに送り出した。彼は、まだ調教されていない暴れ馬のようだった。

昨年彼に会ったとき、一緒に食事をし、長い話を聞いた。「コルニー兄、君は、ドイツ語が話せるようになったし、ドイツでの生活も落ち着いてきた。どうだね、ドイツに定住したら。」という牧師先生のお薦めに対して、

「いいえ。私は神さまにパプアのオボグイという部族に召されています。」といって、神学校も宣教に関するクラスを中心に取って2年で終え、奥さんと3人のお子さんを連れてパプアに戻ってきたのです。

今年もお子さん達が病気で、奥さんと子供達はドイツに帰っているそうです。オボグイのことばを使って彼らのために仕えています。人が成長するために、手助けをすることは労苦が要ります。でも、後に主の恵みを受ける。そう感じます。

パプアの旅の思い出 アグス・マニアガシ師

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アグスさんは、ポリオで片足が不自由だ。でも、神さまは彼に豊かな知恵と、霊的な深みを与えている。

彼は7月21日の話し合いの中で言った。「もし、タカが、ビザが欲しいというだけなら、私たちの団体のことを全部忘れてそして他を当たって欲しい。私たちは、タカとイラルトゥの人々の成長を願って一緒に働きたい。それが願いなのです。」

YPAは、お金がない団体だ。しかし、自分たちのビジョンをしっかりと持っている。その団体のリーダーたちに与えられた知恵は、神さまからの大きな宝だ。

今思う。外国人がよその国でその国の人の力を借りないでどうやって良い働きをすることができるだろうか。同じ国の人がパプアの人を馬鹿にすることばを今回も何度聞いただろう。だから、私たち外国人が、彼らのすばらしさを見て、一緒に協力することが大切なのだ。


パプアの旅の思い出 ヨハン・ウェルフェテ兄

ヨハン兄の携帯は、壊れていた。天は二物を与えずなのか、とにかく彼は機械に弱い。最初の携帯は、水に落としたそうだ。次の携帯も壊れ、3台目も壊れた。私とオヤン牧師がカイマナに行くのに前もって連絡を取ることができなかった。

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カイマナの空港から町に向かう途中、迎えに来てくれたイナさんがヨハン兄の家に寄ってかれに会わせてくれた。私とオヤン牧師の顔を見るなり、「パ・タカシ。実は、昨日の夜、パ・タカシの夢を見たんだ。今朝こどもたちに、今日か明日パ・タカシが来るよと言ったばかり。」

この人は予言者か。それは冗談としても、神様は彼の祈りを用いてくださるようだ。彼の建設中の家の中に入っていろいろと説明を聞いていると、こう言った。

「この屋根の波板は、市からのお見舞いだけれど、平らな屋根板は、あるマナド人(スラウェシ島北部の人たち)がくれたんだ。ある日彼の子供が病気で入院して危ない状態だった。牧師先生たちがお祈りに行ったんだけれど、連絡が入って私に来るようにということで祈りに行ったんです。祈って子供が元気になって、お父さんが感謝して家を建てたときに余った平らな屋根板を僕にくれました。」


2009年8月5日~9日 旅の最後は友人たちとの出会い

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8月4日、スラバヤへ移動。14時間の長旅でした。6日、1994年から3年間住んだマランの町に友人を探しに出かけました。かつて教えたマランの大学がすぐに見つかりました。私を連れて行った乗り合いタクシーの運転手は、私が住所も行き先も分からずに乗っていたのであきれていたようです。大通りの銀行の前で降りてそこから歩いて7分位のところに懐かしい大学が見つかりました。

Hsoesilo

大学で待っていると20分位して学長のヨハネスさんが来られたので牧師夫妻であるお父さんお母さんのところに連れて行っていただきました。

本当は、その晩スラバヤに帰る予定でしたが、普通は、2-3時間かかるところ何と5時間もかかったのでソシロ牧師先生にとまっていきなさいと諭され、泊めていただくことになりました。

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その晩たまたま教会員のご夫婦のパン屋さんの開所式があり、さそわれて付いていきました。そこでかつて一緒に礼拝した方々と出会え感謝でした。ソシロ先生は、81歳の現役の牧師ですが、その声は、力強く、メッセージは心に強く語りかけるものでした。

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翌日は、大学の英語部で一緒に教えたイインさんと、ご主人のブンスさん、受付をしていたリディアさん、ナニックさん(写真に写っていない)と一緒に食事をして、ご馳走になりました。ブンスさんは、帰りの車も手配してくださり、3時間足らずで戻って来れました。

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SBYservice

翌日スラバヤ日本語集会の方々と共に礼拝をし、食事をしました。全員で7人の礼拝でしたが、親しい交流のときを持ちました。スダルト先生は、学会の講演で他の町に出ていましたので一緒に参加はできませんでした。

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9日日曜日は、朝9時のフライトでジャカルタへ、メンテン地区礼拝の報告に間に合いました。

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それからジャカルタの町を横断、1時半からの成人科でサムソンについて学び、3時半からの礼拝を共にしました。夕食をご馳走になり、松本先生のお宅に一泊させていただき、翌朝10日、5時、松本先生の奥様の作ってくださったお弁当を携え、日本に向かって旅立ちました。

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今回の旅でジャカルタ日本語教会の松本章宏先生にはひとかたならずお世話になりました。ジャカルタにおられる日本人だけでなく、バンドン、スラバヤ、バリの方々のためにも心を使いご奉仕されています。チケットの手配や、車の手配、パプアの同労者への送金など色々と助けていただきました。本当に感謝致します。

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7月28日~8月2日(2)カイマナで出会った人々


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スルバイさん: イラルトゥの人々やマイラシ人やカンブラオ人のために働いています。彼の教会では、イラルトゥ語、マイラシ語、カンブラオ語の歌が歌われています。

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カイマナ郡知事のフセインさんにも会えました。

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イラルトゥの行政区長のワコムさんとは、2度目の対面です。これからも私たちの働きを助けてくれる約束をしてくれた頼もしい方です。

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郡知事さんの紹介で、宗教省の長であるマルテンさんに会いました。彼は私とヨハンに会えたことをとても喜んでくれ、車で私を空港まで送ってくれました。

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もちろん、協力者のヨハン兄とは多くの時間を共有し、オヤンさんとも関係を深め、まさに将来ここで働く働きの中心は、私たちではなく、ヨハン兄たちであり、オヤンさんもどうやらこの働きに深く関わることになりそうです。

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昔のわたしにも会えました。謙一の子供の時の写真も見せてもらいました。

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日本の山形で勉強して日本語が話せる地域開発局のラティフさんとは、空港で話をすることができました。オヤンさんにも9月に会ってくれると私に言ってくれました。

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イタさんは、色々と便宜を図ってくれて野菜料理の少ないこの国の食事のことを話すと、お母さんに頼んで最後の3日間は、手料理を食べさせてくれたり、郡知事との面談をセットアップしてくれたりしてくれました。これからの働きのなかで彼女の存在も大きいと感じました。

marius

そのほか大勢の人に会いましたが、写真を撮っていない人もいます。出発前の最後の晩にようやくマリウス兄に会いました。エイズ対策の働きに関わっていますが、町の青年団の奉仕も忙しいようです。でも、彼の笑顔を見てほっとしました。イラルトゥの大学生・卒業生のリストを作ってくれる約束をしました。彼は、9月にオヤンさんに会えるのを楽しみにしています。最後の最後にたくさんの人たちに会えて感謝しています。カイマナでの旅も本当に良い旅になりました。(まだ泳いでいません)

7月28日~8月4日 カイマナのヨハンの新しい家


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目的の一つである現地団体との話し合いを全部終え、7月28日カイマナへ移動。我が団体の9人乗りの飛行機で、4時間。とても早く着いた。

主はすばらしい。2007年12月14日に焼かれたヨハンの家も、屋根があり、壁があり、台所も付いて人が住んでいた。感謝です。後は、壁をセメントで塗り、必要な場所に板を張ってドアを付ければヨハン達全員が住めるそうだ。

inside yohanhouse09

日本人の感覚では、土間で、壁も完成していない、屋根には隙間があるこの家に住めるのと心配になるが、とても涼しく、落ち着いた家で、前の木の家に比べて数倍も良い環境だ。ただ、土地の権利書も全部焼けてしまったので回復するのに手続きが必要で簡単には行かないそうだ。

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事務所、ヨハンの家(彼の土地)、そしてやがて立つだろう高校生の寮は、町の雑踏から離れたまだ自然の残る良い環境にある。自然を利用した村おこし(地域開発)のプロジェクトもできる。ヨハンはかわいい豚を飼っていた。

babi

最初に、この土地に事務所が建てられとき、回りにだれも住んでいなかった。反対する人もいた。でも、広さ(500坪以上)と静かさとを兼ね備えたすばらしい場所が、不思議な方法で手に入り、翻訳の環境としても最高の場所で勇気を持って建てた。今では歩いて5分のところに、郡政府の立派な建物が建ち、15分のところに郡の警察が立ち、空港から車で5-6分だ。後は電気が入れば良いのだが。

backyard ocean

歩いて5分のところに海がある。


プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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