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礼拝にでれる恵み

気がついて見ると、今生きている生活の中に疑問を感じている自分が存在している。「なぜ、私は、この国に来て、英語で会話し、英語で祈らなければならないのだろうか。」 このセンタニ町には、三つの文化が存在する。もちろんこの国の文化が一番大きい。一番小さいコミュニティーが、私と家内という日本人の言語と文化だ。これは非常に大切だ。今日も礼拝に行くのに、分厚い日本語の聖書を持って出かけた。メッセージは、この国の国語で聞いて理解するが、神のことばは自分のことばの聖書を目で追っていく中で、外国語で聞くメッセージが、変換されて、私の心の中に入っていく。そして留まる。

ここに存在するもう一つの文化である、外国人のコミュニティーになじめない。英語で互いに会話し、英語で礼拝をする。もちろん、それは彼らの選択によるもので私がとやかくいうことではない。でも、彼らが英語で私に語りかけてくるとき、私は違和感を感じる。彼らは自分の言葉で祈るが、私はいつも外国語で祈るということに不公平感を感じ、どうしても同じ土俵の上に立てない。心の中に不満や疑問がわいてくる。

7日目に休まれた。神さまが... 天地を創られた神さまが、7日目の休みを創造と共に与えられた。すごいと思う。私は、日曜日になって終日ほとんど聖書を読んでこなかったことに気がついた。休みとは心の安息であり、みことばと礼拝なしには人は本当の休みを得られない。

今朝読んだイザヤ書は、私に物事を否定的に見る見方から、御霊が導いて私たちにさせようとしておられる恵みに満ちた主の働きに心を留めるような見方に方向を修正してくれた。そして、礼拝は、私をもう一度主と共に歩む思いを高めてくれた。

「さあ主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主は、ご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私(たち)は、その小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、
エルサレムから主のことばが出るからだ。
                イザヤ2:3


確かに、不満を持って一週間を始めることもできる。でも、主が教えてくださる小道は、私たちに不満と疑問に満ちたものよりは、感謝と喜びと希望にあふれたものだと私は思う。今主が私に一つの解決を与えようとしていることにわくわく感を覚えている。


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「嵐」が我が家にやってきた

ビザを貰って帰ってきた次の日25日、いつも私たちが泊めて頂いてお世話になっているオヤン先生ご夫妻と青年たち計18人が、我が家に泊まりに来た。26日は、イスラム教の祝日でお休みなのでみなゆっくりできるためにこの日を前から計画していた。(ビザがちゃんと降りたので予定通り決行できた!感謝!)

silent shugo


夜10時過ぎているのに、賛美をがんがんする。オヤン先生も、私が前に歌っていたスラバヤでならった「愛の恵み」という日本語の歌を教えてくれと、夜の12時過ぎていたが歌ったり、コンピュータにしまってあった曲をなんども聴いたりした。次の日も朝早くから賛美。

oyang sri


オヤン先生に、聞いた。「大丈夫なのこんなに早くから賛美して???日本じゃ無理だな~。」というと、「この国では大丈夫。外国人はちょっとショックだろうな。」などど言う。近所に韓国人が住んでいるんだけれど(>_<);;;

sequence


Sequenceというゲームを、息子さんのリオがアメリカから持って帰ってきていてそれを晩、朝、昼とする。インドネシア人なのに、みんな朝のシャワーも浴びていない。証し会やみことばを学ぶときもあり、ただ泊まりに来たのではなく、賛美と笑いにあふれていても青年たちの訓練の時となっている。

cooking 1

ikan bakar

serving


26日の大イベントは、焼き魚。オヤン先生の奥さんのスリーさんの掛け声一声で、それぞれが自分の持ち場について料理を始める。食事をしたのは、午後の1時を過ぎていたが、食事の時間になったら私も写真を撮るのを忘れるほど美味しい焼き魚に喰らいついた。(手で食べるので同時にカメラを使えないということも理由に挙げられる)

laughing
自分たちの写真を見て大笑いする青年たち

嵐のような1日半だった。でも、今までこの国で経験したことがなかった経験をさせていただいて感謝でした。


「バニモへの一日の旅」 One Day Trip to Vanimo

月曜日22日に出なかったパプア・ニューギニアへのビザが23日降りてパスポートが戻ってきました。「さあて、どうしようか。向こうで一泊してくるか、それともがんばって一日で行って帰ってくるか。」

オヤン先生が携帯でSメールをくれました。「松村さん。今日中にジャヤプラまでバイクで来て家に泊まってください。明日の朝早く国境まで車で乗せて行きますよ。」

green roadoyang other border
                             向こうに見える建物は、PNGの出入国管理局

23日の夜になって、家内と私はバイクでジャヤプラまででかけ、24日の朝7時にオヤン先生の家を出た。同行したのは、シモン兄とダニエル兄だ。国境までは、途中ジャングル以外何もないところを通って、約9時に国境の入国管理局に着いた。PNGへの出国入国手続きを済ませて、オヤン先生には、「今日帰ってくる予定ですが、もしも今日中にビザが降りなければ明日戻ってきます。」と挨拶して、私たちは結局乗り合いのバンをチャーターしてできるだけ早く領事館に着いてビザの申請をすることにした。チャーター代は、6800円位。ホテル代は、8000円位だから、差し引き少し得。そして時間、食事代の節約になる。

borderPNGtaxi.jpg

国境の向こうもジャングルだ。そして、1時間でバニモ市に到着した。時差が1時間ありPNGのが早いので、現地時間で11時半頃、領事館に飛び込んだ。ビザの申請書を記入し、ビザ代を支払って、領収書を受け取ったときは、12時3分前。外のドアはすでに閉じられていた。午前中で申請が終わったので、午後2時にビザが出るといわれた。

consulate

バニモの町は小さい。パプアで当たり前の、町を走る乗り合いタクシーも、バイク・タクシーも走っていない。人はみな歩きだ。15分ほど歩いて、町の中心街へ。銀行一つ、スーパーマーケット2つ。お店が数件。食事ができる店は、1件しかない。しかも、中で食事をするテーブルがない。そこで私たちは、パンと料理した肉を持って、ニューギニア人の人たちと一緒に、スーパーの壁沿いの地べたに座って食事をした。(ちょっとはずかしくて写真はとれなかった)

vanimosuper


2時が近づいたので領事館へ行く。2時5分。中へ。2時10分、私たちは無事ビザのシールが貼ってあるパスポートをいただいて、乗り合いタクシー・ターミナルへ。そこからもと来た道を逆戻りして国境へ向かう。帰りは時間に余裕があるので、一般の料金で一人700円を払う。もとの国境に戻ってきたのが、4時20分頃。でも、パプア時間4時まで国境は空いている。余裕だ。今朝あった二人の出入国管理局の役人の人たちも私たちを覚えていて、「早かったね」と声をかけながらパスポートにスタンプを押してくれた。

そこからは、オヤン先生に午後も迎えに来ていただくのは大変なので、タクシーでジャヤプラに帰り、コーヒー一杯をいただいて、バイクでセンタニに戻ってきた。7時になっていた。1984年以来ずっと一緒に奉仕してきた電気技師のヘンリー・モアさんと奥さんのローズさんのところに突然寄ってみた。「良く帰ってきたね。疲れたでしょう。」と行って食事の用意をしてくれた。それからお手製のアイスクリームを食べながら、色々な話をして何時かもう覚えていないけれど10分ほどで着く家に戻った。

長い一日だった。国境を陸路で行く経験はもう一度やりたくないが、守られて感謝だった。領事館の直ぐそばには、綺麗な砂浜の海が広がっていた。小さな子供が数人泳いでいた。ゴミが一つもなかった。何でもそうだが、実際よりも写真の方がずっと綺麗に見える。その背景にある人々の苦悩や悩みを知ることがないから…。

vanimobeach





物事がうまくいかないのは、当たり前?

昨日、お隣の国のバニモ市にあるこの国の領事館に長期ビザを受け取りに行こうと、朝バイクでジャヤプラに出発した。まずは、先週の木曜日に申請したお隣の国への入国ビザをもらおうとジャヤプラの領事館へ。2時間待った末、午後来て下さいと言われた。オヤンさんが、午後行って見ると、パスポートにサインされていない。私たちは、仕方がないので家に引き上げることにした。この国の滞在許可が、28日まで。28日は、日曜日。27日は、土曜日。どちらも国境が開いていない。26日は、この国の旗日。すなわち、25日木曜日にまで出ないとまずいことになる。今回もぎりぎりだ。今回も思ったように物事がすすまない。でも、当たり前なのかな。物事がうまく進まないので私たちは真剣に祈る。

ディディンが誕生日に、小さな額に入った詩を贈ってくれた。

「信仰」

信仰は、神を見る目だ。
どんなにその日が暗くても…。
信仰は、神をつかむ手だ。
急で、困難な道を行くための…。



みことばと友の祈りが励ましだ。



58歳誕生日special + 長期ビザ

誕生日と長期ビザが一緒にやってきた。18日の夕方、携帯電話にジャカルタからショートメッセージが入った。「松村さんのビザがすでに降りて、手元に今コピーを持っています。」やった。28日に訪問ビザが切れる10日前に、ビザが与えられた。後にヘンキーさんから電話があって、「ビザ発給の最後にさまざまな障害があって、私もくじけそうになったけれど、力が与えられて最後まで耐えることができました。感謝です。」

次の日19日、携帯電話、電子メール、ショートメッセージ、フェイスブックで多くの人が誕生日のお祝いメッセージを送ってくれた。夕方、同僚のウェストランド夫妻をお刺身(オヤン先生が魚市場まで魚を買いにいってくれ、家内がさばいた)と照り焼きチキンの夕食に招き、ゲームをし、夜の11時まで笑ったり話したりした。

michikodien


彼らが帰った後、11時半ごろ、パプアの“娘”ディディンが一人で我が家に泊まりに来た。今は、病院の看護婦をしている彼女は普段の忙しい仕事から解放されてゆっくり休み、朝は家内と数独の“勉強”に励んでいる。今まで誕生日は、別に気にもしていなかったが、今年は記憶に残る誕生日が与えられた。


神様は趣味もお用いになるよ。

12月1日にこのパプアに着いてから2ヶ月半。長期ビザが降りていないのでサポート役に徹してきた。謙一と一緒に事務所の引越しの手伝いができて楽しかった。私の趣味は、電気とコンピュータ。それを知ったリーダーの人たちや、学生たちは、こぞって私にコンピュータの修理などを頼んできた。一番のチャレンジは、TITIPに与えられたインターネットのDSLを使えるようにすることだ。前に歴史家?として誰がどう設定したかを調べてパスワードなどを探し当てた話しをした。今回は、TITIPとこのインターネットについて提携している中学校のコンピュータ係りの人と話し合い、必要な機器を購入し、来てもらって設定してもらった。

neil&me
Neil & me


最後の無線ランの設定が残っていたが、無線ランの機器には、アリが巣を作っていたので結局壊れていた。この機器を探すのに、あちこち回って(バイクで)ようやく見つけることができた。そして、パプア訓練センターのマルティンさんに来てもらって昨日の午後最終的な設定をしてもらった。さすがに、最後の詰めのところは専門家の力が必要だ。でも、99%は、終わった。TITIPの学生も毎日勉強のためにインターネットを使えることができている。小学校以来電気の趣味を持ってきて、フィールドに来てコンピュータのハードの世界に入った。趣味がここで用いられていることは感謝なことだ。もう直ぐビザが降りそうなニュース。これから本格的な働きが始まります。

ハーマンさんに冷やかされた

中古のバイクが手に入ったので、どこでも行けるようになった。逆に自転車に乗る時間が減ってしまった。運動の時間を補わなければならないが、2月の中旬になって急に忙しくなってきた。これで長期ビザをもらって、ヨハンたちがセンタニにやってきたら3月からフル回転になりそうだ。そのためにもこのバイクは大きな助けになりそうだ。一日の働きを終えた家内を迎えに行った帰り、たまたまハーマンさんに出会い、「おお。若いカップル~!」と冷やかされた。ヘルメットをかぶると若くなるな~。

motorcycle


「サイレント」での礼拝と交わり

12月のクリスマス依頼ずっと来ることができなかったオヤン先生の教会で礼拝を持つことができた。長男のリオ兄がアメリカでのパイロットの訓練を一部を終えて、帰国し12日が誕生日だったので13日の土曜日からで与えられたモーターバイクで出かけた。オヤン先生の家族とは、クリスマスの時にも下の娘さんのディディンさんの誕生日を謙一も一緒にお祝いし、彼も含めて私たち夫婦は、彼らの家族の一員として受け入れられていてとてもすばらしい交流が与えられている。

oyangfam


写真がまだないが、バイクは、オートマチックで、帰りは、ジャヤプラから52分(ガソリン給油時間を入れて)でセンタニに戻ってきた。早い。車では、最低でも1時間15分は、かかるのだが・・・。バイクにして良かったと主に与えられた知恵に感謝している。


SILOAM(シロアム教会)ENTROP(場所の名前)約すとSILENT(サイレント)

五輪真弓 vs 竹内まりや ??

パプアの夜は、クリスマスと年始が終わってとても静か。昨晩は、YPAが、ある銀行の要請で行員に英語を教えるプログラムを提供するための話し合いでジャヤプラまで運転手をして、その話し合いに加わり夜7時過ぎに帰宅した。でも、これはめずらしい。水曜日は今のところ家内と二人で色々と出来事を話し合い祈ることにしているが、他の夜は2月は、まだ暇そうだ。

takauchimariya 竹内まりや

itsuwamayumi五輪真弓

それで、いつももてあました夜の時間をどうするか考える。私は、一日の疲れで8時には眠くなってしまうので、がんばって10時半まで起きている。いつもはゲームをするのだがそのゲームもあきる。そこでカラオケをした。この国では、五輪真弓は余りにも有名だ。「心の友」の歌を皆知っている。でも、1990年代に彼女のカセットを買って、余りにも悲しい失恋の歌ばかりで心が暗くなったのを覚えている。今は、YouTubeがあり、パプアではダウンロードに時間がかかるが、竹内まりやの「元気を出して」をネットで探して家内と聞いて何度も歌った。同じ失恋の歌でもこの方がポジティブだ。

でも、静かなご近所に迷惑だったかな~?ここは朝は、めっちゃ早いが、夜も静かになるのが早い。

簡単に読める本の翻訳チーム

我が家は、ちょっと変わっている。まず、入り口のドアのところにグレース・ハウスと書いてある。そこから入ると、「簡単に読める本」の翻訳チームが月曜日から金曜日まで働きに来る場所になっている。最初は、「プライバシー」のことも考えてこの家を借りるのをお断りしようかなと思ったのだが、神様の恵みの中で与えられたので感謝して借りている。

mudabacaT
anna Lynda Boas his wife

ボアス兄は、一冊の本の翻訳を終えて、この本のチームになっているが、昨年から2度お腹の手術をして、ようやく退院してきたばかりだ。リンダさんは、翻訳コンサルタントの訓練を受けており、パプアの奥地のチームの翻訳を助けている。この「簡単に読める本」の翻訳チームの一員として奉仕している。アナさんは、毎日忠実に働きに来る。この翻訳の働きが楽しくてしょうがないという。デスクを離れずに一日中がんばっている。

michikofinance



家内も、私も昼間家にいないことが多いので助かっている。家内は、今TITPとYPAの会計の仕事の助けをしている。私は、様々な雑用、コンピュータ関係の奉仕、学生たちのデボーションなどをしながら長期ビザを待っている。

マルコス牧師の助けをする

9日午後3時間以上に渡って、マルコス牧師のお話しを聞いた。マルコスさんは、前にも紹介したことがあるが、ご自分の部族ワラック族のために10年識字教育に携わってきた。パプアでこれほど識字教育が進んだプログラムはない。以前、大統領から表彰されたことがある。彼が今回私に要請してきたのは、翻訳プログラムの助けだった。

markus&me


同じ団体で働くものとして彼のプロジェクトに関われるのは大きな喜びであり、そのためにも私と家内がこの町に1年間住むことになっている。正に私たちの本意に関わる働きを始めることができ主に感謝しています。ワラック族は、ニューギニア高地人で有名なダニ族(正式にはラニ族)と隣り合わせる部族でこれからそのダニ族のことばから翻訳を3年間でやろうという意気込みだ。

水がでない~。

お手伝いのヤコブじいさんが、「水がでません」と私に言ったのは、今日が2日目だ。「またか」と思うがぐっとこらえて、20メートル位あるタンクの鉄塔に上った。このタンクの中にあるスイッチが時々悪さをするらしいが、その度に上ってくるのはいやだ。

watertank


お向かいの韓国人の方は、水道局から水を引いているが、最近雨が多すぎて、逆に水を止められてしまうそうだ。何日も断水が続いたと話してくれた。どちらにしても、水問題はここで生きる限り続きそうだ。

パプアのパイロット帰宅

2月4日水曜日、私たちは朝早くセンタニ空港へ向かった。我が家から空港まで車で7-8分だ。成田に迎えに行くのと違う。ガルーダ航空の飛行機は、ほぼ時間通りに到着した。(すご~い) 空港には、オヤン先生の家族やTITIPのラリーさんとウィラさん、また、航空部のゴードンさんが駆けつけた。

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待っていたのは、オヤン先生の長男リオ君だ。彼は、アメリカのノースキャロライナ州でパイロットの訓練を受け、めでたく「ソロ」(単独飛行)を優秀な成績で終えて今回帰国したのだ。妹さんのディディンさんをはじめ、教会の姉妹たちはそのときを待ちわびて、3日間月曜日から学校を休んだそうだ。(すご~い)

rious


私たちは、パプアの人々が信仰においても、色々な職業においても彼らの能力を発揮して成長して欲しいと願っている。良くやったリオ君。でもまだまだ訓練はこれからだ。



叔父さんは、パプアでは「お父さん」

3日の日、TITIPの学生ゲリーの叔父さんが亡くなった。学生たち、スタッフたちは全員で彼と彼の家族を見舞った。日本では、叔父さんとは遠い関係にある場合もあるが、私たちが学んだイラルトゥ語でも、叔父さん、すなわち、お母さんやお父さんの兄弟も、「お父さん」と呼ぶ。ゲリーにとっても叔父さんはお父さんだ。TITIPの文化となっているので、私は、ゲリーを固く抱きしめた。

gerry'suncle


なんでも(ほとんど)手に入ります。

「探せ、そうすれば見出します。」の通り、色々なお店に行って探すと、たいていのものは手に入ります。(家内からクレームが着きました。日本で手に入る食料品は余り手に入りません。) コンピュータの部品はかなり手に入ります。昔のパプアとは全く違うので、私たちはスーパーへ行くたびに驚きます。

でも次のような光景は日本では見られないでしょう。

michikocabe


私は綺麗な色のからしを見て思わず写真を撮りましたが、家内がからしを買い始めたときにはちょっと驚きました。でも、辛いからしと辛くない美味しいからしがありますので、「今日のは、辛い。今日のは、辛くない。」と実験しながら食べている感じです。
プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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