201104<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201106

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ネガティブは、主にあってポジティブ。

多分、この分だと18日、水曜日の夜中にスラバヤをたって19日木曜日の朝カイマナに着けるだろう。車の購入は、終わったものの、まだ、プロジェクトのための買い物や、車の書類の準備はまだ進行中。先週、マックで会ったドクター・アリフは、最近、フルの血液検査をしたかと私に聞いた。スラバヤのような大きな都市なら信頼して検査を受けられる。火曜日にアポを取ってもらおう。

今回、船で旅だったのは、カイマナからアンボンまで行くと飛行機代の3分1で済むからだ。しかも2日で着く。ヨシさんは、5日かけてスラバヤまで行く予定だった。ところが、いつもの船が故障して、代わりの船で旅だったものの、余りにゆっくりなのでアンボンまで四日もかかってしまった。逆にそれが時間の節約になりました。ヨシさんと私は、アンボンから飛行機に乗り継ぐことにしたのです。

スラバヤに、到着したのが、10日火曜日の夜。車を購入したのが、13日金曜日。たった二日で買えたのです。この大きな都市スラバヤのどこに中古車が売られているのか見当もつかなかったのに、ヨシさんが飛行機で来たことで甥っ子が場所を教えてくれたのだ。更に、彼が車の免許を持っていて、後で車を運ぶ船会社まで持って行ってくれる。

この一連の流れを振り返って見ると、「志しを立てさせ、事を行なわせて下さるのは、神様です。」のみことばを思い巡らし、ただ、主の御名前を賛美するだけです。


スポンサーサイト

緑色の車が待っていた

文字色その時、体中の力が消えて行くのを感じた。

車のディーラーが並ぶ通りに着いたのが朝の9時。前の日クリスチャンのドクターとマックで話し込んで夜中に帰って来て朝4時に起きた私は8時に現地到着を目指したけどお店はどこも9時に開いた。それから4時間、20件あったすべてのディーラーを回って予算と車の状態を比べながらメカニックのヨシと甥っ子と車を次から次へと見た。結局一番最初の車に戻ってエンジン音を聞いた時、ヨシは言った。

「今まで見た全部の中でこれが一番音が良いし、エンジンの状態が良い。」

実際、199か7年製で古いのだが、それでも予算が9万円オーバーしていた。でも予算内で買える車は余りにも状態が悪かった。長く粘ってようやく1万円下げてくれた。オーナーの人は、車がクリスチャンの奉仕のためだと知ると、更に5千円まてくれた。お金を払い込んでパプアに送るための書類の手続きの準備が終わった時、時計は1時を回っていた。その時、肩の荷が降りて力が抜けていた。主が導いてみ業を成して下さった。主の御名はほむべきかな。




主は、人を備えて下さいます

アンボンまで四日、アンボンからは、飛行機に乗り換え友人のヨシさんと一緒に人口七万のこの国第二の大都市スラバヤにやって来た。10日火曜日だった。アンボンで切符を用意して下さったヨシの親戚の方が渡して暮れたチケットを見て驚いた。カイマナで商売している家族の一人がその日カイマナからやってくるのを船に乗っている時に聞いていたのだが、彼女がとぶ飛行機と一緒だったのだ。そこから主の御手を感じ始めていた。アンボンからは、その日三便あったが、どうしてライオン航空になったのかわからない。とにかく私を迎えて暮れた家族は遠い所を二回も空港に来る必要が無くなったのです。

続く

more...

My Trip to Surabaya

No Japanese, Sorry(at Internet caffee in Ambon)

May 5 Kaimana
May 6 FakFak (Stay 24hours)
May 7 Dobo
May 8 Tual
May 9 Ambon (Change to airplane)
May 10 Surabaya

Please pray that we could find a reasonable car.
Please pray that my knee will heal completely.
Please pray that the necessary shopping will be done.

continue..(English - to Japanese)

留守の間に、ガソリン・プロジェクト

ヨハン兄の奥さんロシナ姉は、ほぼ毎日野菜を市場に売りに行く。ある日ヨハン兄に聞いた。「奥さんは、一回野菜を売りに行くと幾ら位になるの。」そうだなあ。「200円かな」それを聞いて愕然とした。ヨハン兄が翻訳の作業をするときは、私が謝儀を払っているが、団体のアジア地区から月10000円の援助があるだけで、決して生活は楽ではない。

今回、借家が空いたことで色々なプロジェクトの構想が生まれているが、ロシナ姉は、私にいずれ、コーヒーショップを開いて欲しいと考えている。私も彼らのために良いアイディアがあるのだが、訓練に時間がかかるし、まずは、小さなプロジェクトから始めないと決して成功しない。

そこで、まず、ガソリンをボトルに入れて売るプログラムから始めることにした。ロシナ姉に聞いたら、嫁のロサ姉と一緒にやりたいというので、女性二人なので、私は家内にこのプロジェクトの責任を任せることにした。いつプロジェクトを始めるとか、定期的に一緒に集まって祈って主にこのプロジェクトを委ねるとか、出納帳をつけるとか、10分の1を主に捧げるとか。挨拶の訓練、サービスの向上などを実際にやっていく。やがて、この小さいプロジェクトが大きなプロジェクトにつながる。しかも、彼らが主が生活の中で生きて働いてくださっていることを学んでいく。

ウムシニという船は、1984年に初めて就航した船だ。昔使ったことがある。かなり古くなっているという話だ。3等は、確か、6人か8人部屋だ。10時ごろにカイマナに到着し、1時に出発となっている。

続く(写真?とか)

レントゲンが撮れた!膝そんなに悪くない。

Dr. フレンキーから、SMSをもらったので、3日カイマナの病院にレントゲンを撮りに行った。バイクをとめて、裏から病院にレントゲン室を探しながら行くと、白い看護服を着た女性が私を見るなり、にこにこしながら、手招きをしている。自分が持っているドクターからのレントゲン撮影指示書(ピンク色)を見たからのようだ。通路の低い壁のセメントの上に座っている。私が、指示書を渡して、レントゲン室の外にある椅子の方に行こうとすると、彼女が行くなという。「どうして?」「あのレントゲン室の外のドアには、鉛が入ってないのよ。放射線が外に出ているの。」やあびっくり。順番が来て、呼ばれて中に入ると、1970年代に使っていたような、かなり古いマニュアルなレントゲンの機械があった。外で聞いた話では、今年初めてカイマナでレントゲンの機械が作動し始めたとか。昨日は、電気屋さんが来てブレーカの容量を上げて修理があっさり終わったとか。古かろうが新しかろうが関係ない。この辺境の地で、レントゲンを撮ってもらえることが大きな恵みだ。

rontgen


ひざのレントゲンを撮り終えると、30分位待って写真を受け取った。すると、2枚取ったはずの一枚がない。戻って聞いてみると、まだ乾燥中だった。これも高速だ。私は、もっと時間がかかると思っていたからだ。

dr. frenki


とにかくドクター・フレンキーに見てもらった。そんなに重症ではないようだ。スラバヤに行ったら、ヒアルロン酸の注射をする方法と、リハビリをする方法があるので、向こうのドクターに聞いてみたらという。日ごとに痛みが弱くなっているようで、ストレッチ包帯で巻いておくとかなり楽だ。レントゲンの写真を見る限りそんなにひどくないので、できたらリハビリで終わらせ、ひざのサポータを買ってくればいいのかな。今日も新しい顔なじみができた。




レントゲンがカイマナにある!?

カイマナで薬局をやっているイタ姉(スラバヤで勉強中)が、フェイスブックでカイマナの病院にレントゲンがあると教えてくれ、ドクターの名前と電話番号も教えてくれたので、アポを取って今朝でかけた。ドクター・フレンキー。パプアのスルイ島の出身だ。

9時に診察が始まるはずだったのだが、結局10時過ぎになった。しかも、順番が分からない。隣に座っている人が、「順番は無いんだよ」というので「ええ、どうしよう」と思ったが、1984年に初めてこの国にやってきたとき、ジャカルタの空港のカウンターで手にチケットを持って人々をかき分けて座席を確保したことを思い出し、ドア近くに立った。そして、前の人が出てくるなり、さっと中に入った。こんなとき日本人の遠慮文化では、埒(らち)が明かない。後で、順番を決めたナースの人が入ってきた。私のカードは、2番目だった。だれかを追い抜かしてしまったらしい。

左足のひざの痛いのは、4日目で、大分良くなっているが、まだちょっと腫れていて時々痛みが走った。ドクターは、レントゲンを撮るようにと書類に書き込んでくれたが、話を聞くと、先ほどレントゲンのスイッチを入れてみたら、元の電源が落ちてしまったそうで、2日ほどで直るという。心の中では笑ってしまったが、そこは経験がものを言う。この国では、期待しすぎてはいけない。うまく行けば感謝なのだ。だめもとで、直ぐに、別の方法があるか考えればいい。「どうして、動かない。」とか感情的になれば、自分も相手も気分が悪くなるだけだ。ドクターは、処方箋を書いてくれた。感謝した。ドクターは、私のことを知っていて、「聖書ができたら、一冊私にくれないか。」マタイ伝ができたら持っていこうと思う。

machiaishitu待合室で(真ん中がジョンさん)


結局、私は、今週高校生寮のための車をスラバヤに買いに行くので、スラバヤでレントゲンを撮ってもらうことにした。帰りに薬局によったら、イタ姉の妹イナ姉が外出していて、店番のおばあちゃんでは結局処方箋で出す薬が分からなかった。汗をかきかき帰って来た。収穫は、病院で色々な人に会えたこと。「あなた、パ・タカシでしょう。」握手を求める人が何人か居た。もと市長の秘書をやっていたジョンさんもその一人、イラルトゥの人で、警察のインテル(外国人担当)の長であるハルディさんが家に来るのを待ちわびていたよと話してくれ、家の場所を教えてくれた。今日の夕方でも行ってみよう。

後でドクター・フレンキーからSMSが入り、どうやらレントゲンの準備ができたらしい。3日(火)にもう一度病院に行ってトライする。

パプア人を守ってください

私がまだ日本に居たとき、ヨハン兄が経済的に戦っていた(今も戦っている)。彼は、与えられたバンテミの土地の一部と政府から受けた援助でプロジェクト用に建てた小さな建物を、外から来た商人に3年間契約で、貸した。ところが、その人は、パプア人をばかにしてかヨハン兄を丸め込んで、色々と自分の得になるように話を進め、自分の懐ばかりを暖めてきた。昨日、3年契約が終わったそうだが、家内が、ヨハンの家を壊し始めているよとヨハンと私に話してくれた。

そこでヨハンは工事を辞めさせた。ところが、契約者が、やってきて、トタンを10枚くれだの、すでにはがした板を持っていくだの非常にずるがしこいことをしようとした。私は見るに見かねて、ヨハンの脇にずっと立って、契約不履行だと主張した。彼は、ヨハンがだめだというならば、しかたがないと最後は言った。そこで、10枚のトタンは救われた。ところが、どうやらすでにはがしたキオスの前面の板は、もって行くという。荷物のために契約者が、トラックを取りに行っているすきに、私は、釘を持ってきて、ヨハンの子供たちに板をもう一度元に戻すように言った。(彼らは恐る恐るやった)

帰ってきた契約者は、板が全部元に戻っているのを見て、私に、「あなたが、命じたのか。」と聞いたので、「そうだ。君は、商売をして儲け、車もあり、そのほかにトラックもある。外から来た君たちは、経済的に大変なパプアの人たちを踏みにじるのではなく、3年間場所を借りて商売をさせてもらったお礼を言って、感謝して出て行くべきだ。」そう言って、そこから一歩も動かなかった。

彼はしぶしぶ自分の荷物を持って帰っていった。

ヨハン兄の息子、アグス兄とおじさんの子オスカル兄は、これから彼らがそこに住んでやろうとしているビジネスに期待を膨らませながら非常に汚くなっているキオスの中を掃除していた。

kios wernerウェルネル


自分がやったことは正しいかわからない。でも、ヨハン兄が搾取されるのをそのまま見ては居られなかった。

あなただったらどうする?

なんちゃって西洋式トイレと左ひざ

ここ2週間ほど左ひざに痛みを感じていたのだが、ついに悲鳴を上げ始め、普通に歩けなくなった。家内は、歳から筋肉痛だという。左ひざは熱い。そこでカイマナの町でレントゲンを撮ってもらおうとヨハン兄の息子アグス兄にカトリックの病院に連れて行ってもらったが朝早くまだ閉まっていた。そこで病院の向かいのお店に座っている人に聞いた。この病院にレントゲンがあるかと。「いやあ、ここには無いよ。町の市の病院にもないな。ソロン市に行かないとだめかな。」

houtaiashi


帰ってきて、日本から持ってきた残り少ないバンテリンを付け、ストレッチ包帯で何とかしのいでいる。

そこでトイレの話になるのだが、なぜ洋式のトイレにしなかったかというと、この国の人が使うオフィスだからだ。といっても、座るトイレが懐かしい。特に足が痛いときは、座るとひざにくる。そこで、感謝なことにこのひざが悲鳴を上げる前に、座席を作っていた。私はなんちゃって洋式トイレと呼んで重宝している。

youshiki

友人が、「猫のひげ」という葉と、もう一つの葉を自分の庭から取って私にくれ、「これ痛みに効くから飲んでみたら」と言った。前に、咳がひどかったとき飲んで効いたのだが、果たしてひざの痛みに効くだろうか。

senjigusuri


ちなみに、がんが治った葉っぱ、糖尿が治った木の根っこなど、話はたくさんある。アミーバには、パパイヤの種。マラリヤには、パパイヤの葉などは有名だ。

プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
現在の時刻

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。