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大漁を祈っていざ海へ!8月29日

29日月曜日の朝、運動のためにパワー・ウォーキングにでかけると、毎日台風のように荒れていた海が静かなのに気がついた。私は寝ていて気がつかなかったのだが、夜中は大雨だったらしい。家内が、外にある雨水用タンクの水をトイレの水槽に移していてくれた。

食堂でウノのゲームをしていた学生たちに聞いた。「今日は海は静かだね。漁に出られるかな。」「大丈夫ですよ。これなら、なぎのところもあるし。」 そこで、ヨハンの家に散らばっていた網の残り(まだ3分の7しか作業が終わっていない)をオフィスに片付けるように学生たちに指示した。

inori


すると、ヨハンがやってきたので恐る恐る聞いた。「今日は、海に出られるでしょうかね。」「はい。大丈夫です。」心の中では、それなら早く準備を始めろよという思いがあったが、必要なものを一緒にリストして、車で町にでかけた。ガソリン、オイル、懐中電灯、錨(いかり)など。

実は、昨晩ヨハン兄と大声でやりあったばかり。アダムが学校が休みの間、ブルアイのおじさんの家に行きたいといってきたが、ヨハンは、行っても良いと言ったらしかったからだ。今まで計画して準備してきたことの意味が分からなかった。彼の説明では、海はカイマナは静かでも、漁をする場所は、波があってこの季節はだめだという。それを前の日に言うのでカチンと来た。学生四人の内、二人は、許可も得ずに町にある自分の家族の家に帰った。漁を手伝う様子も無い。町のこどもは扱いにくい。イラルトゥ人の文化や町の文化との戦いだ。来年は、町の学校に行っていた子供は受け入れないのがいいかなと考える。

funade

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funade chiisai

主は、29日、静かな海を下さった。彼らは夕方4時ごろにようやく海に出かけた。私は皆で一緒に祈るように薦め、海岸で座って祈り、彼ら4人を送り出した。今朝30日は、イドゥルフィトゥリのお祭りで、休みだが、モスクの声がよく聞こえた。今日も海はなぎだ。ハレルヤ!






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3人の学生去る、でも、寮は続く

8月19日金曜日までに、3人の学生が寮を去った。寂しい!でも、それぞれの理由があるのだろう。4人は、毎日学校へ元気に通っている。

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来週29日から始まる週は、学校が休みになる。そこで、この休みの間に、寮の食料となる魚を捕るために、月曜日から網を作る作業に入った。車と一緒にスラバヤで買っておいた網に、浮と鉛をテグスで、縛り付ける作業だ。驚いたことに、子供たちはみんなやり方を知っている。

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家内は、日本に帰る前に毎晩、一生懸命子供たちに数学や英語の基礎を教えている。「やりすぎてない?」と私が聞くと、「子供たちがやりたいというから。」感謝。家内と私は、1日ににセンタニに飛び、私は、9日か10日にカイマナに戻ってくる予定。家内は、2ヶ月の予定で帰国する。

ヨハン兄が一人で面倒見なければならない。でも、たった10日だ。でも祈りが必要。




やはり主は生きておられる!4時間の散歩

日本では、終戦記念日の日8月15日、夕方4時ごろ、私は家を出て、いつもはバイクか車で走る道をリュック一つを背負って歩き始めた。パプア人のための寮を立ち上げることがこれほど大変だとは考えても見なかった。前の週私は一生懸命働いた。子供たちを学校へ運び、迎えに行き、そして、母語の聖書で朝の静まりの時を一緒に持ち、訓練ができていない子供たちを訓練した。でも、それで私は日本人とパプア人の大きなギャップに足を踏み入れて動けなくなってしまった。

このままでは、危ない。体はもう金曜日でめいいっぱいだったが、今度は心が黄色信号を出していた。それで、一泊の旅に出た。文明の機器は、全部捨てて、自分と自然と向き合う。車を辞め、バイクを残し、自分の体で勝負した。幸い、温度は、30度を超えていない。カイマナは最近ずっとこんな状態だ。

市場まで1時間位かかっただろうか。そこでコカコーラを飲んでいつも物を買っているお店のおじさんとしばらく世間話をし、また歩き始めた。とにかく、この家からしばらく離れないと自分がぷっつんと切れてしまうと感じたからだ。「こんにちは」とイラルトゥ語の夕方の挨拶をして、バイク・タクシーで追い抜かしていく人が何人かいた。また、携帯をジャヤプラでなくした市の宗教部の部長さんで、牧師さんのマルテンさんが、バイクで止まってくれ、「やあ。会いたかったよ。携帯をなくしたので、隆さんにずっと連絡が取れなかった」と言って喜んでくれた。私に会うのを楽しみにしてくれる人に会えるのは、心が癒される。

目的の友人の家に着いたのは、6時近かった。約2時間かかった。今は、断食月なので、彼らは断食中。シャワーを浴びさせてもらって、子供にインスタント・ラーメンを買ってきてもらい、断食が終わる6時10数分過ぎを待って一緒にパンなどを食べさせてもらい、インスタント・ラーメンの夕食を食べ、夜は、二階の天井もない、ドアもない部屋で、マットレスもないベッドで寝させてもらった。町だから車がうるさい、蚊よけの薬を体中に塗って、それでも、長く歩いたせいでぐっすり眠れた。朝は、8時過ぎ、元来た道を戻ってバンテミの家の戻る途中、祈り続けていた。「主よ。どうしたら良いのでしょう。」

1時間歩いて、市場を過ぎ、橋を渡って向こう岸に行くと、下の川で、網を降ろしている人の姿が見えた。非常に簡単な漁で、網の片方を海岸の子供に持たせて自分は川の中を網を広げながら一回りするだけだ。でも、一匹だけ魚が捕れた。そして、海岸線を歩き続けるうちにペテロのことが思い出された。「主よ。一晩中魚を取りましたが一匹も取れませんでした。でも、おことばですから網を下ろしてみましょう。」私は、ペテロの気持ちを想像してみた。プロの漁師が一晩中網を降ろし、働き詰めで漁をしたけれど、一匹も取れなかったのは、肉体的にも、精神的にも、疲れた状態だっただろう。たとえ、主のことばに従うにしても、深みに漕ぎ出し、網を打つ作業は、その疲れきった体に鞭打って、更に動かさなければならない。でも、きっと語られた主のみことばと主ご自身から信仰による新しい力をいただいて、出て行ったのだろうと想像した。

Michiko teaching


16日の晩、体の疲れは少し取れていたが、心はさわやかだった。夜家内が英語と文法を教えてくれた。家内が、Aと読むと子供たちは、EIと書いた。Yと読むと、WAIと書いた。途中で家内がけらけらと笑い出した。子供たちの笑いが勉強室に響いた。私もその輪に加わって笑い出した。彼らが、どのように成長していくか、想像以上に時間がかかる作業だと知った。でも、心が晴れた。彼らと一緒に生きて行こう、彼らと主を信じていこう、そう思った。今まで、彼らのずさんな生き方を無理に修正しようとがんばってきたが、まだまだ始まったばかり、ゆったり、主の御手の中でことを進めて行こうと思った。

主は、言われる。「私はあなたの土の器に、計り知れない神の力であるキリストを与えた。だから、あなたは、今四方八方から苦しめられているかも知れないけれど、それが終わりではない。私は決してあなたを見捨てたりはしない。そして、あなた自身の働きが、あなたの力によるのではなくて、今も生きて働いているキリストの力によって進むことを明らかにしていくよ。」(IIコリント4章7節から9節のパラフレーズ)



初めてのお仕置き。

子供たちには、神さまが君たちをここに集めてくださったのだから、自分ひとりだけ良いという行動はせず、必ず互いのことを思いやって一緒に行動するようにと言い聞かせた。ところが、6日の土曜日、ヤネスが、先に一人で市の学生送迎バスに乗って帰ってきた。続いてテオが、バイク・タクシーに乗って帰ってきた。そして、悶々としていると、リトから電話が入った。学校の警備の人に頼んで電話を借りた。早速迎えに行ってみると、そこにリトとアダムしかいない。フランスは、先に、バイク・タクシーで帰ったという。帰ってみると同じ時間にフランスがバイク・タクシーで到着した。聞くと親戚の家に立ち寄ったという。これもルール違反だ。

私は、ヤネスを怒り、テオをしかった後、迎えに行ったのだが、午後は、食後ヨハン兄と二人でみっちりお説教。今日は、最初だから鞭を使わないけれど、次回は、覚悟しておけと締めくくった。

ところが、月曜日、また同じことが起こった。ヤネスが一人だけバイク・タクシーで帰ってくるのを迎えに行く途中で見た。他の四人は、ヤネスが先に帰ったと怒っていた。ヤネスもまた誰かの伝言で、親戚の家に立ち寄ったという。説教した後、一人一人を壁に向かわせ、お尻をほうきでたたいた。連帯責任だ。ヤネスは2回食らった。

火曜日の夜、就寝時間の10時過ぎ、屋根裏から話し声がしているのに気がついた。ドアを開けると、タイム・キーパーのアダムが、洗濯をしている。「今何時か。」「10時10分過ぎ」知っている。パプア人は、時間通りに物事を進めることに慣れていない。上に上がってみると、電気が煌々(こうこう)としてリトは、宿題をしている。宿題は、勉強室(兼食堂兼礼拝堂)でするようにと言っておいたのに、これもルール違反だ。また前の日にヨハンの家でテレビを見ていたという情報があった。

次の朝、5時半に学生達を集めて、説教。そして、朝食は抜きにした。本当は正座をさせたかったが、次回はそうなるだろう。若い学生を訓練するには、体にしみこませるしかない。これからもこのようなことが続くだろう。それにしても、夜中に起こされることが多くからだが持たない。朝のウォーキングを再開した。


弟子訓練の広がり

今朝は、まず、6時過ぎ、ヨハン兄がやってきて、陣痛が始まった婦人を病院まで載せていってくれと頼まれた。実は、金曜日の感謝礼拝のときに、もし、車が必要なときは、寮の車をチャーターして欲しいと頼んでおいたのだ。大きなお腹をした婦人を病院に運び、帰ってきて、8時半に5人の学生、ヨハン兄、ヨハン兄の息子さんのロミ兄(ジャワで失明しそうになった兄)とアグス兄を乗せてここから10分位で行ける空港の近くの教会の礼拝に出かけた。そのうち、3人は、GPIというオランダ改革派の教会、二人は、GKIというもう一つ別のオランダ改革派の教会に分かれてでかけた。ヨハン兄は、GPIの執事だから3人と息子さんたちを連れてGPIに行き、私はフリーなので、2人を連れてGKIに出かけた。車は、空港の駐車場にただで置かせてもらった。GKIでは、賛美をみんなが元気に歌うので私も一緒に賛美してとても励まされた。(家内は、いつも行っている福音派のGKIIの礼拝に出かけた)

寮に帰ってきてから連絡が入り、朝、病院に連れて行った婦人は、双子を産んだけれど、一人亡くなったという。ヨハン兄が、バイクでアグス兄とお見舞いに行った。

今日の礼拝のみことば:ヤコブ2章22節「あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、」

この国の教会には、本当にこのメッセージが必要だ。私も、自分の信仰を省みる機会となった。それにしても、この寮の影響は、まだ始まったばかりなのに、広がりを見せている。金曜日の礼拝は、イラルトゥ語のルカ伝によるイラルトゥ語の礼拝だ。今日行ったGKIの礼拝で、隣りで賛美を一生懸命している二人の兄を横から見ながら、心から主を知り、主を礼拝するものになって欲しいと祈った。彼らも今まで毎週礼拝に出ることはなかった。ロミの家族は、全員が礼拝に行っていなかった。ロミも時々だった。でも、寮が始まってから彼は朝の礼拝にも出始め、アグス兄は、毎朝他の学生と礼拝に出て一緒に学校に出て行く。今朝、ロミの娘さんのエウニケ(ユニケ)ちゃんが、聖書を持って下の弟を連れて近くの家で行なわれている日曜学校に出かけるのを見た。主の御名をほめざるを得ない。更に広がることを期待している。


感謝礼拝・フルタイムの奉仕

学生たちを毎日学校に送るうちに、この働きは、フルタイムの奉仕だと感じるようになった。子供を送って帰ってきて、ヨハン兄と少し打ち合わせをして、ヨハン兄は、切り出してきた材木を削ってから、ほぞを掘り始めた。私は、もっと、便利なところにコンセントを付けてから鍵をかける板を作っていた。すると、ヤニス兄が、一人で帰ってきた。他の学生はと聞くと「知らない」という。彼をしかってから、ばらばらになった5人がどうなったか、連絡を待って悶々とする。するともう一人がバイク・タクシーで帰ってくる。そして、3人の残っているという。早速迎えに行く。すると、待っていたはずの三人の学生が学校にいない。電話が入り、別の場所にいるという。しかも、二人だけ。もう一人はどうなったのか。きがきじゃない。2人を乗せてから、色々説明を聞くともう一人はバイク・タクシーで帰ったという。食後、ヨハン兄とお灸をすえた。5人は(日曜日から7人)は、一体だから、一緒に行動するようにと諭しておいたのに。でも、今回は、鞭は使わない。最初だから。でも、次回は容赦ないと言っておいた。でも、最後は全員でお互いに握手をして、もうすべてを忘れた。

子供たちは、食後、食堂のステップを作ったり、ヨハン兄の台所作成の手伝いをした。

StepStep Complete

Kitchen



昨晩は、子供を迎えに行って帰ってくると、食堂で、30人位の人達が集まって、寮の開始の感謝礼拝を持っていた。リードは、レオ牧師、キーボードは、マリウス兄。私も、加わって、イラルトゥ語の礼拝後、経済的に特に車にお金がかかることを伝えた。献金で、約4000円集まった。ヨハン兄は、これを車の必要のために使って良いという。その日、ディーセルを1000円入れて、赤字になっていた。これでオイル交換ができるし、しばらくは、燃料代もあるので主の御手を感謝した。役人の人達は、月々カンパすると言っているが、これが本当に実現して欲しい。

Thanksgiving worship


それにしても、この奉仕は、ほとんど100%エネルギーを取られる。もう少し慣れるのが必要だ。
翻訳まで手が回らない。


でも、日々感謝している。


しばらくは、運転手!車に事務所を作るかな?

3日間の断食月初めの休みが終わり、いよいよ、今日から学校が再び始まり、まず昨晩家内と子供たちが決めたスケジュールでスタートした。5時起床だけれど、彼らはすでに4時半に起きた。家内が、「早すぎる。」と文句を言った。5時45分まで、掃除、マンディ、礼拝をした。ルカ伝1章1節から4節まで皆で2回順番に読んで、お話しをした。

school car

5人の学生、ヨハン兄の三男アグス兄と

5人の学生は、今日からバンテミの寮から学校に通い始めた。まだまだ寮の買い物があり、送った後、市場へ行ったり、ディーセルをスタンドで入れたり、調子の良くないチェーンソーを友人のところに行ってなおしてもらったりしているうちに、家内から電話。「大変、もう学校は今日は終わりだって!直ぐに迎えに行って!」まだ、11時半過ぎ。残念ながらバイクで外に出ていたので、一回寮に戻って車に乗り換え、迎えに行くと着いたのが12時半。

帰ってくると、食事をして、学生たちの写真をプリントしたりしていると、まもなくしてまた電話。「大変。今日は、夕方4時から、学校の宗教の特別クラスがあって、二人行かなければならないのよ。」学校に送ってから、また、戻ってくるには、遠すぎるので、友人のメカニックの家にチェーンソーの具合を見に行く。すると、パーツが必要だという。「買って直して置いて」とお金を渡す。そこで、しばし、NHKを見させてもらって、また、5時に迎えに行く。それから40分待たされた。明日は、コンピューター他を車に乗せていこう。移動事務所が必要だ。


Morning Worship

5日の朝の礼拝。ヨハン兄と月から土まで交代で礼拝を導く


5人の学生に体が追いつかない

2011年8月1日、午後から夜にかけて、5人の学生が入寮してきた。あれ?9人だと思っていたのに。実は、これは、「学生を受け入れる委員会」が予想していたことで、四人も入寮を辞めるなんてちょっと予想外だった。でも、後二人の学生のお父さんが、夜初めて村からやってきて、説明を聞きたいというのでお話しをした。彼は、高校に二人の学生が入るので、入寮費2500円は、無理だと思っていた。彼の結論は、一人は入れて一人は入れないというものだったが、2500円であきらめるのは早いと諭した。今、8月17日の独立記念日に備えて、高校で旗を上げる式の訓練で忙しいので、木曜日に入寮するという。最終的には、6人か7人になるだろう。

とても良い数だ。夕食は、家内が作って、一緒に食事をした。まだ、純粋な感じのする子供たちだ。

supper with students


8月2日、朝、運転の練習をウェルネルにしてから、カイマナ町にある出入国管理事務所に手続きを済ませ、チェーンソーの部品を買いに行き、帰ってきて、学生たちと分散して、作業を開始した。あるものは、寮の敷地の草刈、あるものは、お昼の料理作り、そしてあるものは、木から板を切り出す手伝いにでかけた。私は運転手。木を切り出す現場まで5回往復した。学生達は、断食月の始まりで、3日間学校が休みなので、この間に寮の色々な準備をしようという。

sagyo


夕方には、くたくた。ヨハンもどうやらくたくたのようで、ぜんぜんみなかった。





今日学生がやってくる!

2011年7月31日、遂に入寮のための学生と親との会を持つことができた。トイレとシャワーが終わった先週、ヨハンと私は、それぞれ、机の製作と水道管や電気配線などに体力を使い、日曜日は正直くたくただった。午後、3時過ぎに、ヨハンと椅子を買いに行った。20脚買ったけど、祈っていたものの、正直何人来るだろうかという不安が心をよぎった。

Y & TParents and kids



椅子を買ってバンテミの事務所に帰ると、すでに4時過ぎ、それから、寮の規則をプリントアウトして、結局始めたのが5時だった。でも、学生の中に遅れてくる人がいた。「学生を受け入れる委員会」が事実上働かなくなったとき、正直これからどうなるのだろうと考えてしまった。でも、ちょうどマタイ伝の最終修正のために読んでいた20-28章から、主が私に語りかけてくださった。21章21節を読んでいて、心に深くみことばが入ってきた。「もし、あなたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができる。」そうだ。信仰を持って祈ってこなかったと気づいて、主の前で祈った。

Shugo Parents kids


主は、確かに祈りに答えてくださった。ヨハン兄が一通り説明を終えた後、親御さんに何かご意見・ご質問ありますかと聞くと、みなもじもじしていたが、一人のお父さんが立ち上がって、「僕たち親は、町に子供たちを送って来たが、まともに子供達の面倒を見てあげることができなかった。子供たちもちゃんと勉強する環境もなかった。こうして、松村さんご夫妻やヨハン兄が私達の子供たちにこのようなチャンスを与えてくれて本当にありがとう。僕らは豊かではないが、村から出てきたときには、バナナなどを持ってきて応援したい。」その語るのを聞いて、もう一人のお父さんが目頭を押さえていた。

何か、体に新しいエネルギーがみなぎってくるのを感じた。
決して賢い子供たちではないかも知れないが、今彼らが居る場所から一歩でも二歩でも前に前進するための手助けができる幸いを感じた。


プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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