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最後のお別れ ポールお疲れ様


ken camepaul flying

2009年謙一、美知子とポールとラバンの家で。一番手前がポールとラバン。

9月27日朝8時、ポールの棺を担ぐ翻訳者10人が集まって練習をした。まだ朝なのに太陽はがんがん照り付けている。でも、今日は雨になって欲しくない。

pallbearers

バティック・シャツと黒いズボン、黒い靴で葬儀に出かけた。HISという謙一も純も学んだ国際校の体育館で葬儀は行われた。葬儀は、3時間になった。ポールのスライドが画面に映し出され、賛美を捧げるときにも、涙が出て止まらなかった。

auditorium

彼は、多くの友人を作った。彼の同僚であるアメリカ人だけではない。日本人である私たち家族も一緒にゲームをし、食事し、笑い、そして、彼の運転する飛行機で飛んだ。彼は、パプア人であっても、誰であっても、みな特別な友人にした。ラバン、ジョイ、マークがみんなと挨拶をするところで、多くのインドネシア人が彼らに挨拶をしているのを見て、説教者のダン・ワイズリさんが、言っていたことが本当であったと思う。彼は、「自分の中に福音をしっかりと持ち、そして、その福音を生きた。そして、人々に主に赦されよ、そして人を赦せと身をもって語り続けた。」彼は、12歳で献身した。でも、牧師になる自分が描けなくて、バイクの修理工場で聖書学校を卒業後も働いていた。そこへ一人の人が現れ、ジャングル・パイロットになる道があることを語った。彼は、12弟子のペテロやマタイのように、直ぐに立ち上がった。

Mark Flower

ポールは、日曜日の夕方の団体のミーティングでほとんど見ることはなかった。いつも、息子のマークと模型飛行機を飛ばしていた。あるいは、ビーチで二人でサーフィンをした。マークも証で言っていたが、「お父さんは、本当に僕を愛してくれた。お父さんと模型飛行機を飛ばしたり、サーフィンしたりした回数は、数え切れない。お父さんは、僕といつも何かをしようとしていた。そのお父さんが今居ないのは、信じられないし、正直どうしていいか分からない。でも、お父さんが天にいる。そして、神様がこれから僕を導いてくれると信じている。」そのような内容の証をした。

casket


葬儀の後、航空団体「ヤジャシ」の職員10人、メカニック10人、パイロット10人、そして、最後に私達翻訳者たちが10人で棺をHISの直ぐそばにあるお墓まで運んだ。そして、彼にお別れをした。

carrying his casketcasket down



娘さんのジョイが、葬儀の時に、三つのことを父から学んだと言った。「第一に、生きている限り、笑顔を絶やすな。第二に、仕事は精一杯しろ。第三に、主を信頼しろ。」メッセージが心に深く残った。彼女が言った。「22日の朝早く、目が覚めて詩篇121編の1節が思い出され、ただ頭の中をめぐっていた。そして、1時間後、チャプレンから父の事故のことを知らされた。」

Oyang Lavonne Joy


最後の挨拶したときに、ラバンは、「来てくれてありがとう。」と言った。来れて本当に良かった。ジョイと、神様ってすばらしいね。詩篇からこころぞなえをしてくれたんだねと話し合った。マークの笑顔を見ながら彼を抱くと慰めが心に広がった。主が、きっと彼らを立たせてくれると。



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友人ポールの葬儀に出かけるためカイマナを出発

9月22日午後、パプアの奥地を飛行中の団体の飛行機が墜落した。パイロットをしていたのは、80年代からの友人であり、同労者のポール・ウェストランドさんだ。翌日の朝、YPAの主事からSMSで連絡が入った。まさか彼が墜落して召されるなんて全く信じられなかった。いや今でも信じられない。彼の声が、いつも耳の中に響いている。

明日、息子の謙一が卒業した高校の敷地で葬儀が行われる。翻訳の働きに仕えている8人の各国の代表が、最後にポールの棺を担ぐことになり、私もその一人になった。主に仕えるということの厳粛さと、今おかれているところが召されたところであり、もう一度、献身するように迫られている。

実は、彼が亡くなる日の前日、淋しくなってYPAの主事のオヤンさんにSMSを入れたのだが連絡が無かった。そこで一瞬ポールと話そうかなと考えたのだが、結局やめてしまった。でも、カイマナに出発した、9月12日の朝、団体の格納庫の待合室で彼と5分くらい歓談した。そのことは恵みだった。

express
3時間待たされたマノクワリで最後ジェット機に乗る

奥さんと二人のお子さんのために祈り続けたい。今日、これからセンタニに向けて出発する。昨日の礼拝中に、ウェイティング・リスト入りだった飛行機の切符が無事取れたことが分かった。特別賛美を聞いていて、また、主を賛美しながらポールのことを思い出し、涙が止まらなかった。今日、出発できるのも主の恵みだ。

ナシゴレン!おいしい。

9月19日月曜日。学校へ子供たちを送ると、8時に開く銀行のドアに立って開くのを待った。それにしても、8時に開くからすごい。でも、中に入るとコンピュータとかがまだセットアップ中で待たされる。通帳のプリントアウトをお願いする。それから、一旦戻ってきて、バイクで銀行に戻るも人人人。諦めて郵便局へ電気代を払いに行くと、また、人人人。諦めて帰ってくるとヨナタン兄が道端でバスを待っていた。畑まで乗せて行った。これで行ったかいがあった。

今日は、学校は午後1時15分まで。夕方は、学生達と3人でナシゴレンを作ることにした。ごはんがある。野菜も色々ある。肉もある。私は肉や一部の野菜を切り、学生達は別の野菜を切ったり、火をスタートさせたり。大きななべと小さいなべを二つ使って大奮闘。今日は特別にケチャップ・マニス(ソース)をかけて完成。味は、最高ですね。

nasgo


学生達は、昨日作った単語帳を自分で勉強し、私は今夜は教えない。
今は、教えるのに忍耐がいる。いつか頭の上に電気がともるのを待ち望みつつ。


エクイーン言語学コースをほとんどAで終えた

昨年の6月私達のカイマナの家で、訓練を受けたエクイーンが、3ヶ月のジャカルタでの言語学コースを終えてパプアに戻ってきた。私達が、センタニに着いたので早速連絡が入り、彼女に会い、コースのことや将来のことを話し合った。

Equine


彼女は、フェイス・ブックで、こう言っていた。「コースに参加して、色々なところで働いている現地の翻訳者の証しを聞いて思った。『エクイーン、今度は私の番よ。きっと翻訳者になる!』」TITIPの学生の中で、翻訳者になろうとして立ち上がり、実際に言語学の賜物があることを証明して、神さまの導きをしっかりと受け止めているのは、彼女が始めてだ。2009年にこちらに来て、彼女を教えたり、励ましたり、導いたりすることができる特権を感謝した。

彼女にこう言った。「だれが、あなたを実際に導いていったとしても、一つだけ覚えていて欲しい。誰かの、アシスタントなんかで終わってはだめだ。しっかりと訓練を受けて、自立した翻訳者としてどこかのグループのために仕えてください。」

主が、今パプア人の人を導いて働きを進めようとしていることに興奮を覚える。「お前は、だめだ。能力がない。無理だ」と言われてきたパプア人を主が用いようとしているのは、主が、弱いものをあえて選ばれたとIコリント1:26以下から導いてくださった私の人生に通じる。これからも、祈りながら見守って行きたい。

ハレルヤ!



ジャヤプラへ出発、オヤン牧師の教会へ

9月1日、家内と私は、ヤジャシの飛行機でカイマナを出てジャヤプラへ。夕方4時半頃到着する。天候が悪く途中立ち寄るムリア近辺は、雲で覆われ飛行機は雲を避けるために急上昇したり、急下降したり、ジャヤプラに着く頃には体はくたくただった。でも、安全に運行するパイロットに感謝した。

ジャヤプラでは、車の部品やバイクの部品、カイマナで買えないものを買った。買い物にも主の哀れみがあり、必要なものを買えるお店が横並びに並んでいてあちこち行く必要がなかった。疲れた体には、助かった。

oyangsri


日曜日は、オヤン先生の教会の礼拝に出て、カイマナでの奉仕の証しをした。この教会からも、将来主の働き人が起こされて欲しい。オヤン先生は、ヘブル書11章から、メッセージをしてくださった。信仰は、見ていないものを確証する。信じるとは、どんな状況であっても、神がおられることを信じることだ。アブラハムは、お金持ちだったが、それに頼ることなく、どこに行くかわからずに、ただ、必ず導いてくださる永遠の神がおられることを信じて踏み出した。私のカイマナでの働きに大きなチャレンジとなり、励ましとなった。

9月4日は、奥さんとご主人がつきあい始めた日で、記念に賛美をしてくださった。僕らの日は、覚えてない。秋の休日で、10月10日だった気がする。

それにしても、カイマナから数日離れただけで、体と心の休みになった。ヨハンのために祈り続けている。9月5日から寮生が戻ってくる。



無事に帰ってきた魚を捕って!!

8月30日火曜日、船外機を運転していたアグス兄から携帯で連絡が入った。「パ・タカシ。モーターが壊れたので今マンダイス島にいます。助けをよこしてください。」 それからおおわらわ。でも、解決は直ぐに見つかった。アグス兄が置いて行った15HPのモーターがある。オスカル兄も居る。後は、カヌーだ、そう思いながらオスカル兄を探しに行くと、何と船外機を担いで出かけるところ。話しを聞くと、ヨハン兄の息子の嫁さんが、村に帰るところなので、モーターを使うという。急いで、状況を説明すると、借りられるモーターがもう一台あるという。そこで、2台を持って島まで行ってもらい、ヨハン兄達に1台を置いていってそのまま村に行ってもらうことにした。ガソリンをヨハン兄の奥さんから買って、点火プラグを買いに行き、モーターや荷物を車に載せてカヌーの置いてあるところまで運び、後は主と彼らに委ねた。

perahu

cool box


その日、連絡はなく、帰ってこなかった。きっと漁に出かけたのだろうと思っていたが、さすがに31日の朝潮が満ち始めても音沙汰が無かったので心配し始めたが、ヨハンの奥さんが全然心配していないので大丈夫だろうと思った。すると、突然アダムがやってきて戻ってきたという。ハレルヤ、しかも、魚も与えられた。

holding fish

yohan

正直、今回の漁は、赤字決済だ。でも、祈って信仰を持って出かけ、問題があっても、主が導いてふさわしい助けを与え、そして、ガソリン代位の魚が捕れたので、赤字ではあるけれど次につながることになる。9月から海の風が弱まるので、残りの網を整備すれば寮の活動のために資金を得ることができるようになり、学生にとっても自分の手でお金を稼いで、それで生活し、学校へ行くという訓練になると期待している。とにかく安全に帰ってこれてよかった。高校生と言っても小さいときから海に出ているので彼らに取っては普通のことなのかもしれないけれど。




プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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