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ワコムさんの証し

ドナルド・ワコムさんが、年末28日我が家に再びやって来た。しかも後ろのドアから。「クリスマスおめでとうございます。」と言って握手した。クリスマスは、故郷のマノクワリに戻って27日には、カイマナに戻ってきた。

彼の証しを聞くことができたので、ここに記しておきたい。

Mr. Wakum


「私は、ジャワの政府役人訓練用の大学を卒業して、ファクファク(カイマナの西、恐竜の頭の南)の市庁に配属されていた。ファクファクでは、日曜日になると、先に赴任していた同僚の行っていた教会に、彼を毎週車で連れて行き、自分は自分の教会に通っていた。ところが、2002年、同僚の教会に通うようになった。そこで初めてイエスキリストが自分のために十字架にかかり死んでくださったことを知り、主を救い主として受け入れた。ところが、私は、その時前の教会の青年会のリーダーをしていた。前の教会から新しい教会に移ることは、前の教会の交わりに大きな傷を残すことになり、私は、問題児として受け止められる可能性が高かった。当時、私の新しい赴任先が、ファクファクの山奥に決まっていた。

ファクファクに留まるならば教会に問題が起こり、赴任先には、教会がなくって、新しく信仰を持った私と家内にとっては、成長する土台がなく、どうしても、そのような場所が私たちに必要だった。何度か仕事で訪れていたカイマナに心が惹かれていた。そして、家内と二人で、真剣に祈った。『主よ。私たちがファクファクに残れば、教会に傷を残します。私たちは、山奥に行けば、この信仰を培う土台がありません。主よ。どうぞ、私たちをカイマナに異動させてください。』

2002年、ついに、新しい人事の発表の日が来た。私は、制服を着て会場へ出かけた。私は、自分は、山奥に配属されることが決まっていたので、じっと主がどう私たちの祈りにこたえてくださるのか、待っていたが、心の中は、自分の配属は山奥になると思っていた。ところが、別の人の名前が読まれた時、驚いた。なぜなら、彼が私が行くべき山奥に配属されていたからだ。そして、最後に私の名前が読まれ、配属先が、カイマナと聞いたとき、私は、自分の目からただ涙が流れるのを留めることができずに、そのままじっと座っていた。そして、カイマナ町の副町長として配属され、主がここで信仰を培ってくださった。後で分かったことだが、その日の朝8時まで、私は、山奥に配属になる予定だったそうだが、カイマナに配属になるはずの人の問題で、彼が私が行くはずの山奥に配属、私は彼が行くはずだったカイマナへ配属が決まり、1時間前に変更になったという。主が、確かに私たちの祈りを聞いてくださって導いてくださった。

そして、私は、2004年、新しくカイマナ市(2003年に町から市に昇格)となった市のイラルトゥ地域の町長(行政区長)として、配属された。この5年間のイラルトゥ地域の働きは、私にとっては、イラルトゥの人たちの住む地域の発展が自分に与えられた課題であることは知っていたし、今の時を主の前に精一杯働いて用いていかなければならないという思いで5年間精一杯奉仕した。でも、それ以上に、私にとっては、イラルトゥの人々そして、更に奥のクリ族(イラルトゥは言語、クリは部族名)の人々に主の福音を伝えることが自分に与えられた使命だと思っていた。毎朝毎晩家内と子供たちと彼らの救いのために祈った。そして、村々に行って政府の地域のプロジェクトについて語る前に、私は必ずまず福音を語った。

今、山奥のクリ族に霊的な変化が起こっている。パウロが種を蒔き、アポロが水をやり、成長させてくだるのは主だ。ハレルヤ。

2009年にカイマナ市の人事部の部長に任命されて今に至っている。」




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クリスマスの訪問を受ける

「ねえ。どうする。もしかしたら、クリスマスに訪ねてくる人がいるかも知れないからクッキーを買っておく?」

「そうだね。カイマナで初めてのクリスマスだから余り人が来ないかも知れないけれど、一応用意しておこうか。ジュースもね。」

この国では、イスラム教のお祭りのときは、イスラム教徒がクッキーやジュースを用意して挨拶に来る人を迎える。クリスマスになれば、今度は、キリスト教徒がクッキーやジュースを用意してお客さんを迎える習慣がある。礼拝後、用意をして、昼寝をしていたら、イラルトゥの兄マリウス兄の家族が尋ねてきた。子供3人をバイクに乗せてる。彼は、教会の奏楽者をしているが、家内と私が行っている教会は奏楽者が、就職でジャヤプラに行ってしまって、毎週アカペラで歌っている。マリウス兄に手伝ってくれるかと聞くと喜んでやってくれるということだ。教会の青年たちの奏楽訓練もしてくれそうだ。

Marius fam


そうこうしている内に、教会の青年たちが5人訪ねてきた。名前を書いてもらい、これで今度は名前で呼ぶことができる。最後は、ダイエットの話になった。私がキャベツダイエットして元気になった話をしていたからだ。すると、次の訪問者がやってきて、青年たちは帰った。

Youth from church


次は、イラルトゥの議員さんのヘルリさんだ。寮について、2013年以降のビジョンなどについて話し合った。彼も、心からイラルトゥの人々の将来を考えており、ワコムさんに次いで、彼もイラルトゥの人々の人材育成にとって大切な人の一人になるかも知れない。彼が帰ったのが夜の9時半ごろで、午後3時ごろから9時半まで続けて話してちょっと疲れた。でも、感謝な時だった。






静かなクリスマス

ちまたでは、「クリスマス」が盛んに祝われている。このパプアの辺境の町カイマナも同じだ。でも、クリスマスとイエス・キリストの誕生がどれほど関わっているのか疑わしい。クリスマスは、アメリカでは、家族で集まる習慣。日本では、やたらと忙しい年末のつかの間の行事。25日が終わると突然クリスマスムードが消え、年末ムードに早代わり。パプアでは、あちらこちらに、クリスマスソング(賛美歌からホワイトクリスマスまで)が、24時間スピーカーが壊れるほどポンドック・ナタル(クリスマス小屋)から流れる。友人は、自宅の近くにこのポンドックが建てられ、眠れないので友人の家に引っ越すという。センタニに居たとき、寝不足になったことを思い出す。

今年は、そんな意味でも、静かなクリスマスを迎えている。大体カイマナでは、ポンドックナタルが少ない。市庁舎や、警察庁があるこのバンテミ地区は、郊外にあり、お店がないから、クリスマスソングも聞く機会が少ない。カラオケ大好きな前の家も、寮ができてから、ボリュームが遠慮がちである。一日に1時間ほどしか音楽が流れない。(前は、朝の6時から夜の12時まで流れた)昨日、教会で、初めてクリスマスキャロルを歌った。懐かしく感じた。

イエス・キリストの誕生を黙想するのだが、クリスマスが邪魔をする。クリスマスメッセージも聞き飽きるほど内容が新しいのがない。牧師先生たちは、この時期大変だなあと思う。キリスト者にとってクリスマスって何だろう。昨日は、イエスキリストは、飼い葉おけに寝ておられたので、馬小屋で生まれたとは聖書は書いていないというメッセージを聞いた。「へえー。」翻訳していたヨハネ伝1章1節がこの時期心に残った。「初めにことばがあった。ことばは、神とともにあった。ことばは神であった。」

1992年、フィリピンでは、9月にすでにクリスマスソングがお店で流れていたのを思い出す。クリスマスは、キリスト者のものではなく、まだ、すばらしい生けるイエスキリスト様に出会ってない方々のものだなあとつくづく感じる。商業主義を取り除いたイエスキリストがこの時期私たちの心に光を与えてくださるとすればそれこそ奇跡であり、すばらしい出来事だ。







子犬たち

ジュンジュン(私たちになついたヨハン兄の犬)が、11月に6匹の子犬を産んだ。大分大きくなってかわいい盛りだ。出産は、3度目だが、盗まれたり、栄養不足で死んだり、交通事故にあったりで、残っていない。今回は、授乳用のミルクを買ってきて飲ませたりしているが、強い犬と弱い犬がいる。弱い犬をどうやって助けるかが課題。

dogpile


静かな我が家

アダムとリトは、今朝ふねで村に帰りました。昨晩から座席を取るためにふねに乗って今朝の出発を待っていました。8月1日から4ヶ月間、学生たちを育てるのに奮闘しました。59歳の体には、堪える日々でしたが、主が、叫んだり何度も逃げだしそうになった私にみことばを語り、友を送って励まし続けてくださいました。

しばし、静かな家になりました。今の祈りのチャレンジは、1月に備えることです。新しい学生が3人あわよくば4人入ってきます。彼らも楽しみにしていることがクリスマスの夜に会って話して分かりました。私も家内も楽しみにしていますが、チャレンジもあり複雑です。

でも、アダムとリトがイエス様を受け入れ、新しい歩みを始めました。クリスマスを通して若い他のイラルトゥの人たちと出会うことができ、感謝しています。今日の夜のイラルトゥ青年のクリスマスがあり、招待されていますので嬉しいです。

主の導きに従う醍醐味とは、全く分からないけれど、何か大きな期待感がいつもあることです。

クリスマスの表面的な流れに流されずにこのシーズンを楽しめるのも、このカイマナの市街から遠い緑が多いバンテミに住んでいるからでしょう。また、寒くないのですが、「クリスマスらしさ」がないのも影響しているかもしれません。昨日は、34度位ありました。感謝です。

bantemi



ふたりは、ひとりよりまさっている。ふたりなら立ち向かえる

ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もし、ひとりなら、打ち負かされてもふたりなら立ち向かえる。三つよりの糸は簡単には切れない。伝道者の書4:9-12

16日イラルトゥのクリスマスが終わった。でも、心は晴れない。市長さんが来られなかったからではない。恐らく、市長さんに招待状が渡らなかっただろうと予想している。そんなことより、一つ一つの準備の中に孤独感を感じたからだ。このイラルトゥの寮を建てあげようとしている人がイラルトゥの中に極端に少ないことを感じたからだ。2007年にイラルトゥの兄弟たちが集まって寮についての決議をしたのに、その会合に集まった人は全員いなくなったという。今回もそんな感じを受けている。私の体と心の休みが必要だ。しかも長期の。1月13日から2月末までビザ延長のためにセンタニに住む。主は、住む家もすでに与えてくださった。その時が待ち遠しいというか、逃げ出したい思いで数日を過ごした。

体を引きずりながら礼拝に行って、心も体も疲れ切っていた今日の朝、子供たちが学校へ行くという。今日、今学期の成績表をもらうためだ。私は、ヨハン兄の調子が悪い船外機を車の後ろに積んで、子供たちを乗せ、学校へ行って帰りに友人の家に船外機を置いて帰ってきた。すると、家内が、「ワコムさんが先ほど寄っていったわよ。」と伝えてくれた。

wakum


ワコムさんは、政府の高官で、信仰の篤い人だ。2008年にパプアを訪れたときに、初めてお目にかかった。すぐに電話をすると、まだ近くにいるから、後で寄るということだった。玄関を掃除して、リビングを掃除した。

それから、およそ、5時間時を一緒に過ごした。私は、彼が立ち寄ったと聞いた時に、主が、私の心を励ますために送ってくださったに違いないと感が働いた。ワコムさんは、イラルトゥ地域の町長さんをした人で、しかも、彼らの救いを祈りながら、町長としての働きを全うし、カイマナの町に栄転になって町の人事部でリーダーとして働いてきた。彼も、今大きな悩みの中に会った。私も主の働きに悩んでいる。彼は、2週間ほど、悩んで仕事に行かなかったという(こちらでは、許される)、主に、カイマナから移転させてくださいと苦しみの祈りをしながら、みこころを待っている。私は、寮の立ち上げの中で相変わらず孤独感を感じ、どうしたら、最善なのか。この家を出て他に行くのがいいのか。それとも、後1年半一生懸命学生を育てて、それで寮を閉じても由とするか。そんなオプションを自分の前にぶら下げて祈っている。

二人が今日であったのは、主のお計らいだったのだろう。同じ信仰を持つ二人が交わることほど大きな力はない。(奥さんはとお考えの人もあるだろうが、男として妻以外の人との交わりは非常に大切だ) 二人が話し、証しあったことが、すべてと言っていいほど辻褄が合った。お互いがお互いの悩みを分かち合い、お互いがお互いを励まし、お互いがお互いを戒めた。その真ん中に主が居た。

家内が作った簡単な食事をちょうどいたアダムと一緒に食べて彼はゆっくり事務所に出かけた。話の途中で、彼が一人ソロンの牧師さんを紹介してくれた。カイマナ出身の人で、私と同じような働きをしている。私のことを知っていた。今度、一緒に会おうと携帯で語り合った。できたらワコムさんと一緒に行きたいと思っている。



レスキュー隊?

土曜日の夕方、ヨハン兄の家に住んでいるイェレミアス兄から突然電話が入った。「カイマナの海岸に近づいたが、船外機が故障して、動けない。助けに来てくれますか。」

急いで、アダムとリト、それにヨハン兄の息子セルを呼んで、ガソリンと船外機を用意して海岸に向かうが懐中電灯のバッテリーが全部死んでいた。まだ明るかったのに、出発するまでにとまどってしまった。

出発したが、修理を完成したはずの船外機の調子が余りよくない。スピードがでないのだ。そのうち暗くなってきて、月明かりだけが頼りになった。最後に受けとたSメールによれば、ビチャリ岬の沖で流されているということだったので、そちらに向かったが、後で分かったのだが、どうやら、この情報が間違っていたようだ。暗い海で、方向が間違っていたらどうしようもない。

エンジンを切って大声で呼んでも答えがない。何度か携帯に電話を入れたが、かからなかったがもう一度試してみた。するとつながった。「隆さん、エンジンがかかりました。今、陸に向かっています。」がっくり感と感謝でそのニュースを受け取った。

結局3時間位海の上を走っていた。今回分かったことがいくつかあった。

1.救助隊は、懐中電灯、水、食料、オールを用意しないとだめだ。
2.寒くなるので、ビニールシート、防寒具が必要だ。
3.夜の場合、相手に、場所をしっかり確認すること、懐中電灯を持っているか確認することが必要だ。
4.船外機のメインテナンスが必要。

夜の9時に帰ってきて、アダムとリトは、冷えた体を火で温めた。私は、ぬれた服を脱いで、井戸水(暖かい)でシャワーを浴び、長袖長ズボンに着替えて、食事をしてそのままの格好で寝た。

面白い体験だった。


主が道を開かれると…

火曜日に道であったユスティヌス兄は、その日の夕方、家に置きっぱなしにしていた携帯電話に何度も着信を入れ、応答がないので我が家までやってきた。それで私がまだ帰って来ていないので、会えずに帰ったが、息子さんのエスティパヌス兄は、寮に入りたいという。いても立ってもおられずにやってきた様子が分かった。

Yusutinus Estepanus Elon


7日水曜日の夜、エスティパヌス兄とエロン(Elon)兄がユスティヌス兄と一緒にやってきた。2年生は、もともと予定に入っていなかったけれど、1年生が二人になってしまったので、彼らはチャンスが回ってきたわけだ。この寮は、イラルトゥ語の聖書に基づいて、私たちの生き方をしっかりと生けるキリストに結びつけ、人として、経済的にも自立を目指す。イラルトゥの地域に与えられた豊かな資源を生かす経済の実際の方法も一緒に学ぶ。寮に入ることは、決して楽ではない。訓練を要求される。でも、今見えないけれど、ここで学ぶことは、将来きっと君たちのプラスになる。それを信じて自分を磨くところだ。寮に入ればそれで成長するとはいえない。全部君次第だ。君が自分を磨き上げようと一生懸命になれば結果はついてくる。

そのようなお話しをした。エスティパヌス兄の眼がぎらぎら輝いていたのがすごく印象的だ。エロン兄は、まだ、決めかねている感じがした。

土曜日に彼らはやってくる。ユスティヌス兄は、他の二人にも声をかけると言っていた。どうなるか分からない。でも、ユスティヌス兄の積極性がこれからこの寮に大きなプラスの影響を与える。少し展望が開けて来た。主をほめよ!


美知子誕生日

12月6日は、美知子の誕生日。彼女のために歳を明かすことはできないが、知っている人は知っている。テントのレストランは、数日前に行ったばかり、他に夜誕生日に食事に行くようなレストランはない。そこで、先日船が入港してお店で売っていて、冷凍庫にしまっておいたアイスクリームを食べて誕生日のケーキ代わりになった。

美知子


そしたら、ゆり子からスカイプで呼ばれた。インターネットのつながりが極端に悪いカイマナでは、つながればラッキーという感じだが、数分間話すことができた。


祈りの意味だいぶ分かってきたかな。まだだろうな。

数日前、YPAのリーダー訓練学校のTITIPの先生に、携帯メールを送った。「1月に3週間ほど、学生を教えに来られますか。」答えは、アメリカ人だったが、「ノー」ではなかったが、明らかに意味するところは、「ノー」であった。TITIPの卒業生に教えてほしいとも思っているが、明らかに一つのドアは、閉じられた。彼女は、あんなにカイマナに来るのを楽しみにしていたのに。

寮長を祈り、一人に絞って祈りアプローチしたが、答えは、もちろんインドネシア人だから、絶対に「ノー」とは言わなかったけれど、「イエス」という答えはなかった。だから、「ノー」なのだ。すると、寮長に関して別のアイディアが浮かんできて、今そのことを祈りながら、実現の方向に持っていこうとしている。

yustinus
一番右がユスティヌス兄、古き友人

2年生の学生を寮に受け入れようという話をヨハン兄としたのは、もう数週間前のことだ。実際、2人の子供たちは、入寮したいという思いがあるけれど、親と話してみなければ分からないと言う返事を受けたまま、その後一向に動きが見えなかった。でも、祈っていると、今日、学校に学生を送った帰りに、2年生のお父さんのユスティヌスさんが村から出てきていて道路の反対側を歩いているのに出会った。急いで止まって逆戻りして、ヨハン兄と3人で話した。タイミングよくヨハン兄が私と学校まで行ったので直接3人で相談できた。進展が楽しみ。

今週頭にでも、漁に私も出るつもりだった。でも、日、月と体の調子が悪くそれどころではない。今は、漁に出る最高の季節。でも、道が開かれない。

2013年にできあがる本を果たして教会で使ってもらえるかということで祈っている。突然、私たちの働きに余り協力的でない教会の牧師さんがたずねて来て、「私たちの教会の奉仕について何かご意見はありますか。」と聞いてきた。びっくりした。正直に、協力関係の不足について申し上げた。祈りの中には、先日訪問したモヤナ教会がいつもある。きっと、主が答えをくださるという強い思いを持って先を探っている。

イラルトゥ語のクリスマスは、16日に決まった。市長さんも参加されるかも知れない。ヨハン兄は、お偉いさんを沢山呼んで寮のための献金を集めたいと願っている。私は、小さなグループで、本当にイラルトゥの礼拝をしたい人たちを集めたいと願っている。果たして主はどう導かれるのか。

祈りは、どうしても必要。主が、開いておられないのに、人間の力でこじ開けてはいけない。テクノロジー、文明の利器、お金、だれかの説得力のあることばなどは、時としてこじ開ける道具になる。そう私は感じている。最終的に、ノーであっても、主に委ねる祈りの準備ができていない計画は、どんなに良い計画でも、危険だ。「いつものように」という思いは、主を私たちの歩みからはじき出す。

箴言16章1節 「人は計画を立てるかもしれない。でも、主が最終的なことば(答え)を持っておられる。」(英語TEV訳の私訳)




イラルトゥの寮について、教育について市長さんと話す

学校へ子供たちを車で送ったら、イラルトゥの人たちが沢山住んでいるところで、5人位の高校生をピックアップした。彼らも主にあって大切な子供たちだ。帰ってきて、ヨハンと一緒に市庁舎へ車で出かけた、あるけば、7分位で着くのだが、汗をかきたくなかったし、8時のオープンの遅れたくなかった。車で行くと警備の人に敬礼され、どんどんと中に入れた。

車を降りると、市長さんが、外に座ってだれかと話していたので、挨拶して、待合室で祈りながら待っていた。ざわざわするので目を開けると、市長さんが立っていた。モヤナ教会で会って以来だった。握手をしてくれ、「さっき、銀行の前で見たよ。」と笑いながら話してくれた。

bupati
マティウス・マイヌマ市長

すぐに中に入り、それから1時間余り寮について問題点や、戦いなど報告した。すでに報告書は出してあったがまだ読んでくださってはいなかった。でも、「私は、隆さんとヨハンさんがやっている寮を教育のパイロットプロジェクトとして受け止めているので、期待しています。来年の予算の編成を組む中で、お二人のプロジェクトのことはいつも考えています。」と十分励ましていただいた。経済的な支援も来年度受けることができそうだ。

最後に、イラルトゥのクリスマスを16日(金)にやる予定ですが、来ていただけますかと聞くと、「もちろん。伺います。」とおっしゃってくださったので、ヨハン兄と私は、忙しい市長さんだから何が起こるかわからないけれど、感謝して学生やイラルトゥの人たちと一緒にその日に備えたいと思っている。


気がついたら、1時間半近くなっていた。外にでると、イラルトゥの議員さんに、「あんたたち、話が長すぎるよ」と言われてしまった。そして、外には、20人位の人が市長さんに会うために、順番を待っていた。申し訳ない。へへへ。

プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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