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文化と自分と協力

「文化と自分と協力」というへんちくりんな題だ。突き詰めていけば、外国に住んで働いている自分が一体何ができるかという問いなのです。

 良く外国人が犯す間違いは、文化と文明をごっちゃにする。文化とは、一つの共同体が共有する生き方と言っていいだろう。日本に帰ると中々握手しない。その代わり何度もお辞儀する。もちろん他人同士「ハグ」は絶対しない。ところが、パプアでは色々な時、色々な人と「ハグ」をする。どうして?と自分の文化の目から見て判断しても余り意味がない。受け入れるしかない。

 ここ3年ほど悩んだのは、どうやったらパプア人の友人たちの協力を得ることができかということだ。未だに分からない。色々やったけれど、どうやっても旨く行かない。

 結論は、祈るしかない。自分という存在を神様が知っていてここに遣わされている。知恵と力を使ってもどうしても届かない領域がある。前はあせった。でも、今はあせらない。自分をここでどのように用いてくださるかということは、主の御手の中にある。正に開き直りの世界である。

 それは、今目で見える現象なんて神様の1000年が1日のような量りで考えれば、どうにでもなる。今見える現象に一喜一憂しない。生きておられる主がどう道を開かれるのか祈って待つ。楽しみであり、きっと驚きもあるだろう。限界のある自分を打ちたたかない。むしろ、この限界のある自分を召されてまで用いようとしている主に期待したい。

 
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東風の強風、毎日のように降り続く雨

6月5日にヨハン兄とヨナタン兄と3人で村へ行こうと計画を立てたが、4日にリト兄の最終期末試験が始まった。その日、リト兄を学校に連れて行くと、ココナツの木が東風の強風を受けて斜めになっており、同時に大雨だった。途中、だれでも学校へ行きそうな子供を乗せると、ひとりの学生の上にもうひとり座り、前の座席には、私以外に二人座って車は12人位乗っただろうか。

風の季節が始まって、まず、考えたのがリト兄をしっかりと毎朝学校に運んでちゃんと試験が受けられるようにしないとだめだということだ。そこでヨハン兄とヨナタン兄と相談して、出発を一週間延ばして翻訳に集中することにした。

リト兄の学期末試験がすべて終わった11日(月)、私は村へ行くための食糧の買い付けや、機器の準備をした。ところが、今度は、ヨハン兄が歯痛で横になってしまった。歯医者に夜連れて行ったが痛みは治まらず、次の日、病院の歯医者で治療を受け、16日土曜日まで痛み止めを飲み続けて、土曜日に治療が決まった。ベッドに横たわっているヨハン兄を訪ね、状態を聞いて帰るとき、彼のために手を置いて祈った。毎日、来て祈るからねと伝えて帰った。

でも、覚悟ができていた。祈りながら最善を尽くして予定を立て、計画を実行しようとして道が閉ざされる場合、それは主の最善ではないということだ。もう一週間延ばして、すべて旨く行けば19日頃に出発になるだろう。もし、リト君の進級が決まれば、一緒に村に乗せていくことになる。

与えられた時間は、まず、終わっていなかった日本語の祈りの手紙を終わらせ発送すること、ヨハネ伝の逆訳を進めること、イラルトゥ・クリ高校生寮の新入生受け入れのためにパンフレットを作ることなどを当面の目標にして進めている。

イザヤ書43章から45章を読み進める中で、主がご支配しておられることを確認して励まされています。

「わたしが、あなたの神、主。
 恐れるな、わたしがあなたと共に居るからだ。
 
 わたしの手から救い出せる者はなく、
 わたしが事を行えば、だれがそれを戻しえよう。

 わたしが主である。他にはいない。
 わたしのほかに、神はいない。
 あなたは、私を知らないが、
 わたしは、あなたに力を帯びさせる。

 地の果てのすべての者よ。
 わたしを仰ぎ見て、救われよ。
  
 わたしの口からでることばは正しく、取り消すことはできない。」(抜粋)新改訳聖書

新しい力がみなぎるのを感じつつ

最近、わたしが長年この国で奉仕して来て、これからも働き続けるのに力になることばを二つ聞いた。

(1)5月29日(火)、朝のマタイ伝を使った礼拝の後、バイクの後ろにリト兄を乗せて学校に行きました。私が、日本に帰っている間に、子供がバイクを倒したのか、スピード・メーターのケースがぐらぐらしていたので、何気なくリトに聞きました。「このメーターぐらぐらしているけれど、子供が倒したのか?」

彼がバイクの後ろで言ったことばに驚かされました。「それ、僕がやったんです。学校へ行くときその日は、雨が降ってバイクタクシーがどうしてもこないのでバイクを借りました。ところが、学校の近くでぬかるんでいるところがあってそこにはまって倒れてしまいました。ごめんなさい。

今まで多くの人から聞く言葉は、「知らないね。きっとどこかの子供が倒したのかも知れないね」と自分の否をごまかすことばだけだった。

(2) 翻訳中の話しの中でヨハン兄から聞いた一言。

 「やあ。このマタイ伝は本当に良いね。今までインドネシア語で読んでいたけれど、分からないところもある。特に会衆の中には読んでいても理解できない人がいる。ところが、イラルトゥ語でマタイ伝を読んでいると、それがない。すーと入ってくる。しかも、これは初めて感じたことだけれど、インドネシア語で主のことばを聞いたら、どこか外からの人が語っているように感じてきた。ところが、イラルトゥ語で読むと、まるで、自分の父たち、先祖たちがわたしに語りかけているように聞こえてきたんだ。」(イラルトゥの人たちにとって先祖たちからの言い伝えは非常に大切です。聖書のことばが、その先祖たちのことばになっているのを彼は感じているのです。母語で聖書を読むのが新鮮なのでしょうね。)




プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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