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静かなクリスマス

ちまたでは、「クリスマス」が盛んに祝われている。このパプアの辺境の町カイマナも同じだ。でも、クリスマスとイエス・キリストの誕生がどれほど関わっているのか疑わしい。クリスマスは、アメリカでは、家族で集まる習慣。日本では、やたらと忙しい年末のつかの間の行事。25日が終わると突然クリスマスムードが消え、年末ムードに早代わり。パプアでは、あちらこちらに、クリスマスソング(賛美歌からホワイトクリスマスまで)が、24時間スピーカーが壊れるほどポンドック・ナタル(クリスマス小屋)から流れる。友人は、自宅の近くにこのポンドックが建てられ、眠れないので友人の家に引っ越すという。センタニに居たとき、寝不足になったことを思い出す。

今年は、そんな意味でも、静かなクリスマスを迎えている。大体カイマナでは、ポンドックナタルが少ない。市庁舎や、警察庁があるこのバンテミ地区は、郊外にあり、お店がないから、クリスマスソングも聞く機会が少ない。カラオケ大好きな前の家も、寮ができてから、ボリュームが遠慮がちである。一日に1時間ほどしか音楽が流れない。(前は、朝の6時から夜の12時まで流れた)昨日、教会で、初めてクリスマスキャロルを歌った。懐かしく感じた。

イエス・キリストの誕生を黙想するのだが、クリスマスが邪魔をする。クリスマスメッセージも聞き飽きるほど内容が新しいのがない。牧師先生たちは、この時期大変だなあと思う。キリスト者にとってクリスマスって何だろう。昨日は、イエスキリストは、飼い葉おけに寝ておられたので、馬小屋で生まれたとは聖書は書いていないというメッセージを聞いた。「へえー。」翻訳していたヨハネ伝1章1節がこの時期心に残った。「初めにことばがあった。ことばは、神とともにあった。ことばは神であった。」

1992年、フィリピンでは、9月にすでにクリスマスソングがお店で流れていたのを思い出す。クリスマスは、キリスト者のものではなく、まだ、すばらしい生けるイエスキリスト様に出会ってない方々のものだなあとつくづく感じる。商業主義を取り除いたイエスキリストがこの時期私たちの心に光を与えてくださるとすればそれこそ奇跡であり、すばらしい出来事だ。







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プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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