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「セケン」語の翻訳を読み始めて

友人の福田さんが、年末沢山の本を贈って(送って)くださいました。センタニに着いてから最初の月曜日1月16日に郵便局の裏の荷物のところに行って聞きました。「すみません。日本からパッケージが届いていますか?」と聞くと、「ああ。松村さんかい?」おや。私ってそんなに有名か。驚いていると、ちょうどパッケージが着いたばかりだというのです。

早速家に持って帰ってくると、マザーテレサの本や、ラニエロ・カンタラメッサの本(ローマ書の霊的メッセージ)などが入っていましたが、やはり、目に留まったのが、山浦玄嗣医師の書いた「ガリラヤのイェシュー」(日本語新約聖書四福音書)です。

友人の矢吹さんが送ってくださった「イザヤ書」(みことばの光)、そして、カンタラメッサの「ローマ書」、そして、この「ガリラヤのイェシュー」を使って今年は、主のみことばを深く味わいたいと思っています。ちなみに、分厚い日本語の聖書も使いますが、教会の礼拝でも使っているiPhoneに入れてある口語訳聖書も使います。

セケン語の聖書は、ケセン語の四福音書が元ですが、私もマタイ伝を購入してCDと一緒に日本に置いてあります。当時、ケセンの人がうらやましかったのを覚えています。良く考えてみると自分には方言がない。ふるさとがない。埼玉県の桶川市は私のふるさとではない。むしろ、浦和市だろう。でも、浦和には方言といわれるものがない。

このセケン語を読み始めて、思うのは、教会がもしかして世間から離れているのではないかということだ。また、セケン語の聖書は、確かに教会の礼拝で使うのは難しいけれども、逆に公同の聖書には、教会でしか通じない用語が、多く、難しく心にピンとこないというのは本当のことだと思う。

前から翻訳者として自分も考えてきたことが、「大事にする」「大切にする」という今日本語に翻訳されている「愛する」のセケン語訳だ。確かに、愛するという概念が私たちの日本語にはなじまない。むしろ、「大切にする」ということばで訳された方が、心にぴったり来る。そして、実際の行動を心の中に促すのだ。たとえば、「自分と同じように他人を大切にせよ。」と言われたら、愛せよと言われて煙に巻かれたような意味が、まるで、快晴の空のように自分の心にグサッと刺さってくる。

実は、私も四福音書と使徒の働きの合冊本の出版を考えているが、この本を読み始めて、新しい主への祈りに導かれている。「主よ。教会で使える公同の聖書にしましょうか。それとも、だれもが読んで分かるものにしましょうか。」私の心の中には、教会で使ってもらえて何ぼという思いが強い。イラルトゥの人たちに「アンケート」を取って彼らに選択してもらうのも一つのアイディアかと考えている。




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プロフィール

松村隆(パスター・フィリップ)

Author:松村隆(パスター・フィリップ)
1952年生まれ。埼玉県浦和育ち。1984年から海外にて言語研究や翻訳の働きに従事。2000年に原因不明の病気で帰国。2001年に児玉福音自由教会の牧師に就任。2010年2月正式にNGOのコンサルタントの働きに復帰。2013年6月日本に帰国。61歳。

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